りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

妻の超然(絲山秋子)

イメージ 1

3人称で綴られた「妻の超然」、1人称で綴られた「下戸の超然」、2人称で綴られた「作家の超然」という、3作の中編からなる作品です。「超然」とは無関心な態度のことなのか。部外者であることなのか。それとも強靭な精神力のたまものなのか。なかなか奥深いテーマです。

「妻の超然」
「妻たるものが超然としていなければ、世の中に超然という言葉など要らない」と、年下の夫の浮気にも寛容を示していた妻。しかし、たとえ単なる同居人のような関係であっても、同じ時間を生きていく夫婦関係には、この言葉はふさわしくなさそうです。でも「怠慢」ともちょっと違う気もします。

「下戸の超然」
ビール1杯も飲めないために会社の飲み会ではタクシー扱いされていた青年に、恋人ができました。しかし恋人の甘えや不安を、酔っぱらい特有の理不尽で自分勝手な感情表現と同列に考えてしまうようでは、うまくいきそうにありません。孤独であることと、身勝手さは紙一重なのかもしれません。

「作家の超然」
首の腫瘍を手術することになった女性小説家が、自分の来し方、行く末を考える中で、文学の終焉ということに思いを至らせていきます。「誰もが不特定多数からの反応を求めて発信を始めたとき、物語は滅び始めた」のでしょうか。文学が滅亡した彼方には「世にも美しい夕映え」が現れるのでしょうか。

2016/11