りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい(小山鉄郎)

イメージ 1

宮城谷昌光さんの中国古代に題材を得た小説には、ところどころに白川静先生の学説に基づく漢字の説明が紹介されています。『字統』、『字訓』、『字通』などの大作には、とうてい手が出せないけど、コンパクトな小冊子が出版されたので、さっそく読んでみました。

いきなり長年の疑問が解けます。なぜ「左」と「右」で「一」の部分の書き順が違うのか。「左」の字は「一」が指、「ノ」が腕、「エ」は呪術のための道具だそうです。「右」の字の「ノ」が指、「一」が腕、「ロ」は神への祝詞を入れる箱とのこと。だから、どちらも「指」から書くのだそうです。自分の両手を「左 右」の形に見えるように置いて、眺めてしまいました。右手は箱を抱え持っていたのでしょうか。

一番ドキッとするのは「道」でしょう。未知の場所には邪霊が宿っているので、その地の者の首をはねて捧げ持ち、邪霊を祓い清めながら進んだそうです。そうして祓い清められた通路が「道」。

ほかにも、たくさん紹介されています。「目」はもともとヨコに書いていた字がタテになったもので、「見、眉、相、・・」に加え、「夢、徳、環、・・」なども目に由来するらしい。「媚」は、古代の軍の先頭に立ち、相手を睨んで呪いをかける巫女のことで、「蔑」は、敗れた軍の巫女を斬首すること、の説明にも怖いものがありますね。

この「白川漢字学」には、異論を唱える学者も多いとのことですが、漢字によって日本語の表現力も、知性も高められてきたとの指摘は事実です。日本語で「おもう」というのは、顔を意味する「おも」の動詞形だそうです。単純なひとつの概念だったものが、「思う」、「想う」、「念う」、「懐う」と色々な文字と出会って概念が深化してきたとの説明には、説得力を感じます。

日本の「新字体」への変更で本来の意味が失われた漢字も多いのですが、中国の「簡字体」ほどには、めちゃくちゃではありません。本家の中国で漢字の成り立ちがわからなくなるようじゃ、いけませんよね。

2007/1


【補足】色んな「おもう」
・「思う」の「田」は頭のことで、頭がくさくさすること。
・「想う」は、茂った木を見て心に勢いが出ることから、心が動くこと。
・「念う」の「今」は、ものにふたをすることで、じっと気持ちを抑えること。
・「懐う」は、死者の襟元に涙を落とすことで、哀悼すること。