りぼんの読書ノート

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小説のタクティクス(佐藤亜紀)

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小説のストラテジーと対をなす創作論です。著者の主張を要約してしまうと、「形式の有効性を問う戦略に対して、内容の記述様式を問うのが戦術であり、様式は時代によって変化する」ということなのでしょう。ただし、本書の論考の大半は、1989年と2001年を契機とする様式の変化に費やされています。

世界は既に安定したものではなく、現在を時間軸に沿って投影した未来など幻想にすぎず、「運が悪い」とうだけで死んでいく人々は記号化された機械でしかなく、そこには歴史的な意味などなくなっている。要するに、自らの刻苦勉励によって何かを成し遂げ、自分の顔を獲得していくという「近代西洋の神話」は、もはや機能しなくなっていると言うんですね。もっともそんな幻想は、20世紀に存在した2つの全体主義国家において既に砕かれていたとも言うのですが。

一方で「3.11」、日本文学に新しい様式をもたらすことにはならないであろうと予言します。ひとつには「忘却、慰め、癒し、絆」を求める風潮は世界の安定性を再確認するものでしかなく、さらには表現媒体として小説は衰退しているからというのですが、どうでしょう。

佐藤さんの時代認識は、残念ながら正しいのでしょう。しかしながら、その認識に基づく様式に忠実なだけの「難民小説」は、おもしろくないように思えるのです。その様式を満たした上で、さらにその様式を越える内容を持つ作品でないと、時代に埋もれてしまうのではないでしょうか。ともあれ、こんな評論を読んでしまったら、こういう判断基準のことも忘れられそうにありません。

映画を用いた「格闘様式の変遷」の事例説明には説得力を感じました。1948年の「黄金」で男らしさを証明するボクシングであったものが、1963年の「ロシアより愛をこめて」では観客に見せるためのプロレス化し、1973年の「燃えよドラゴン」で超男性化と芸術化が進み、2007年の「ボーン・アルティメイタム」では断片化された痛みとなったというのです。さすがによく観察しています。

2014/7