りぼんの読書ノート

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クコツキイの症例(リュドミラ・ウリツカヤ)

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帝政ロシアで医師の家系に生まれたパーヴェル・クコツキイには、患部を「透視」できるという不思議な能力が備わっていました。産婦人科医の道を選んだパーヴェルが、第二次世界大戦の最中に疎開先の病院で手術した患者のエレーナを妻に迎えたことから、「家族の年代記」が始まります。

スターリン時代のソ連では、堕胎は違法。悲惨な実例を多く見ているパーヴェルは、母体を救う中絶手術の推進派であり、いつ逮捕されてもおかしくない状態。しかし最も強い中絶への反対は、家庭内で起こります。妻エレーナと信心深い女中のワシリーサが、パーヴェルを拒否し始めるのです。

堕胎を取り扱った小説というと、ジョン・アーヴィング『サイダー・ハウス・ルール』や、莫言蛙鳴(アメイ)が思い出されますが、「生から死への移行」と「生命の誕生」というテーマで描かれる本書は、神秘的な色彩を帯びています。孤独さから壊れていくエレーナの精神世界が見るものとは・・。

エレーナの連れ子であったターニャは、冷徹な科学の世界と父親に反発して、奔放に生きていきます。父親の友人の双子の息子たちと事実婚をして妊娠したにもかかわらず、ソ連のアングラ社会に足を踏み入れ、ジャズ・ミュージシャンのセルゲイとも付き合い始めるのです。娘エヴゲニアの誕生が、ターニャの生活を変えることはありません。やがて彼女は悲劇に見舞われることになるのですが・・。

「雪解け」という時代の変換期を背景とする本書が取り組んでいるのは、社会と人間、生と死、宗教と科学という大きなテーマなのでしょう。まるで「現代のトルストイ」ですが、著者はそれも意識しているはずです。エレーナの父親が「トルストイ主義者」であったことに加えて、エレーナの精神世界にトルストイ本人も登場させているくらいなのですから。

2014/2