りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

キャッチャー・イン・ザ・ライ(J.D.サリンジャー)

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ある年代の人々には「聖書」のように扱われた作品です。そんな「古典」が村上春樹さんの新訳で復活しました。

しかし、この本のどこがそんなに素晴らしいのか、正直いってよくわかりません。大戦後間もなくのアメリカを舞台に、主人公のホールデン・コールフィールドが成績不振を理由に高校を退学させられて寮を飛び出し、実家に帰るまでニューヨークを彷徨する3日間を綴った作品なのですが、要は神経症のお坊ちゃんの物語。

落ちこぼれ意識や疎外感に苛まれる主人公が、純粋な妹フィービーに問い詰められて、「自分は、広いライ麦畑で遊んでいる子どもたちが、気付かずに崖っぷちから落ちそうになったときに、捕まえてあげるような、そんな人間になりたい」と語る場面がクライマックスなのですが、ここでエンディングではありません。おそらく精神病院で治療を受けながら、架空の聞き手に向かってこの物語を語っているという仕掛けが見えて本書は終わります。

ホールデンは社会復帰を果たせるのかどうかを読者に委ねる仕掛けは素晴らしいのですが、金持ちで酒とタバコとセックスにふける不良少年のどこが、1950~60年代の若者たちから爆発的に受け入れられたのでしょう。

それはやはり、ベトナム戦争、パリの五月革命安保闘争文化大革命・・という、当時の時代的雰囲気を理解しなければわからないものなのでしょう。欺瞞に満ちた大人たちを非難して制度社会を揶揄しながら精神を病み、それでも優しさを求める主人公の姿勢が、多くの人の共感を得たのだろうと思います。

ではなぜ、村上春樹さんが2003年に本書の新訳を手掛けたのでしょう。「自分なりの再評価、再検証と文体上の関心」が最大の理由と語っていますが、今また本書が受け入れられる時代の訪れを感じているのかもしれません。

2012/10