りぼんの読書ノート

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ニッポンの小説 百年の孤独(高橋源一郎)

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サブタイトルの「百年の孤独」とは、言うまでもなくガルシア=マルケスの大傑作のことです。日本近代文学の礎を築いた明治期の文豪たちは、西欧文明から輸入したばかりで、まだ日本に存在していない概念をひとつひとつ日本語で命名していかなければならなかったんですね。その様子が、周囲の自然や事象に名前をつけるところから始まった、初期マコンドのようだというのです。

しかし本書は「日本文学史」などではなく、明治に始まり現代に続いている「小説」とは何かを明らかにしようとする挑戦的な作品です。

「その小説はどこにあるのですか?」では、女性モード雑誌に溢れる情報の中に埋もれてしまう小説の脆弱さを指摘し、「死んだ人はお経やお祈りを聞くことができますか?」では死を題材とした名作が数多くあるにもかかわらず、小説で死や死者を書けるのかという根源的な問いを発し、「それは、文学ではありません」では、素人の書いた『うわさのベーコン』という稚拙な小説が発している奇跡的とも言えるパワーに触れるのです。

「小説というものは先頭に立つ人だけが書くもので、読者はそれに『みたない』作家たちの作品を無視していい」という、ある詩人の文芸時評に恐怖を感じない作家はいないのではないでしょうか。」と。

一方で、既存作家の「言い分」はもっともなのです。リアルな「死」を描くことなどできないのに、繰り返し「死」が小説のテーマとして登場するのは、「生」を著わすためには「死」の存在が必須だからでしょうし、頂点の小説をが高みに押し上げるためには麓を埋め尽くす『みたない』小説が必要なのですから。むしろ数多くの小説がなかったら頂点の小説も生まれることなどないようにも思えます。エンゲルスの言う「質量転換の法則」ですね。^^

とはいえ、著者の突きつける「小説を書くとはどういうことだろうか」との問いを常に発し続ける緊張感も必要なのでしょう。それは小説家サイドのみの問題ではなく、読者も問われていることであるのでしょうから。

2012/7