りぼんの読書ノート

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河・岸(蘇童)

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文革期を背景に陸地を放逐された父と息子の13年間にわたる船上生活」というと、壮大な大河ドラマ小説を期待してしまいますが、本書は最後までめちゃくちゃ情けない父子の姿を滑稽に描いた小説です。

父親の庫文軒は、革命に散った女性烈士・鄧少香の遺児と認められて町の共産党書記となっていましたが、実は犯罪者の息子であったと指弾され、さらに権力をかさにきてのセクハラ行為が暴露されて失脚。13歳の息子の東亮は、父親の失脚後、「空屁(すかしっぺ)」とのあだ名をつけられてバカにされるようになり、妻にも去られた父親ともども河川輸送を担う向陽船団の船に引きこもってしまいます。

そこにやってきたのが母親に失踪された美少女の慧仙。美貌とわがままな態度で船団の人気者となった慧仙は革命模範劇の演出家に見出されて船団を去ることになるのですが、思春期の東亮は慧仙に惹かれ、父親に隠れて手淫にふける毎日。

本書の中で、「河」と「岸(陸)」とは対立する概念とされているようです。「河」にとどまり続ける文軒と、「陸」での名声を求めると慧仙と、「河」と「陸」とを行き来しながら父親に叱られ、慧仙に翻弄されてどちらにも居場所のない東亮の3人が対比的に描かれるのですが、結局3人とも最後までダメ人間なんですね。まるで冥界のような「河」に一旦足を踏み入れた者は、現世である「陸」での居場所を失ってしまったかのようなのです。

文軒は失った「烈士の血統」に恋々とするだけで「陸」に上がる気力を失ったままだし、慧仙は気位の高さと自堕落な態度によって人々から見放され、東亮は26歳になっても子ども時代のままのトラブルを繰り返して結局「陸」から放逐されてしまうのですから。

しかし、ダメ人間たちが行き着いた先に見えてくるのは「突き抜けた」ものなのです。「太陽を仰ぐ」との意味がある「向陽」船団に隠棲した文軒と、東亮に「ヒマワリ」と呼ばれる慧仙は、「太陽とヒマワリ」に例えられた毛沢東江青を連想させるのですが、単なる寓話性を超えたものが本書にはあるのです。

2012/5