りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

安土往還記(辻邦生)

イメージ 1

著者の3作めの長編です。廻廊にて夏の砦では、自分の過去と和解し、自分が生きてきたことに普遍的な価値を見出すに至った女性が主人公でしたが、本書では一転して、「虚空の中でただ力技によって自分の世界を支える」男性が主人公になります。

その主人公の名は、織田信長。私の中での「信長像」は、彼を描いた他の小説よりも、大河ドラマよりも、この作品によって形づくられました。

宣教師とともに日本にやってきたジェノバ出身の船員の眼を通して見た信長は、高みにある理想を完璧に実現するために、強力な意志の力をもって自分自身と格闘し続ける人物でした。スペイン領南アメリカで戦闘部隊の指揮官としての経験も有する船員から見た信長は、若き日の征服者コルテスとのみ比肩しえる人物だったのです。

機動的な短期決戦と長期的な軍備計画を合理的に使い分ける信長は、信玄公の急死という幸運も味方して「包囲網」を破ります。常人の理解を超える残虐な比叡山の焼き討ちも、長島の殺戮も、「事を成さしめる」ためには必要不可欠な「狂気的な激しさ」の顕れにすぎないと船員は言うのですが、どうでしょう・・。

著者の作品の根源にある「自ら信じるもの」は芸術であることが多いのですが、本書では「勝利と支配」になっています。それでも「騎馬隊総覧」にて整然と疾走する馬軍や、漆黒の闇の中に松明の火によって浮かび上がる安土城など、美しく描写された場面も多く登場します。船員にとっての「特別の瞬間」となったのかもしれません。

信長の唯一の弱点は、他者に自身と同じ資質を求めたが故に荒木や明智らの苦悩を理解できなかったこととされています。これほど鮮烈な個性に焼き尽くされない者など、いないでしょう。著者が信長の理解者として異国人を配したのも当然です。

2012/1再読