りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

これはペンです(円城塔)

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「叔父は文字だ。文字通り。」との文章ではじまる表題作は、書くことの原点に迫る試みなのでしょう。自ら発明した文章の自動生成装置なるものを駆使して自由自在に文章を生み出す叔父からの、手紙の受け手であり読み手である姪が、もはや手紙でしか確認できない叔父の存在を追い求めていきます。

叔父の綴る文章は文字からなっているとは限りません。ある時は分子記号やDNAやウィルスに潜む暗号であり、ありとあらゆるものの配置が何らかの意味を生み出していくというのです。

本人の意思に関わりなく存在してしまう何かの配置は、ディラックソーカルソラリスハリ・セルダン、果ては「中国語の部屋」にまで例えられますが、そんな叔父の存在の本質、すなわち「書くことの本質」は「不滅」ではなく「変転」だというんですね。

ずっと「読み手」であった姪もまた、「書き手」への変貌を自覚するところで不思議な物語は終わります。彼女が自分自身を記述する時に生まれるものは、もはや「叔父でも文字でもない」というのですが・・。

併録の『良い夜を持っている』は、存在しない街を克明に幻視することによって母の存在を見つけ出し、現実・夢・記憶の世界を行き来する父を息子の視点から描いた作品です。「目覚めると、今日もわたしだ。」との文章ではじまるこの作品は、「記憶」の原点に迫る試みなのでしょう。言葉の定義が無限の記憶に結びついていく様は、まるでマングェルの空想図書館のよう。

無限のすべてを脳内に圧縮などできないことを悟り、「それではわたしは無を読むことにしましょう」と言い遺して父が倒れる場面はあざとい気もしますが、父の記憶が息子に引き継がれていくエンディングは、爽やかにも感じます。

はじめて読んだ作家ですが、密度の濃い作品ですね。この水準を長編でも維持できれば「ピンチョン級」の作品も書けるかも・・。^^

2012/1