母が彼女を迎えに来ないのは、すでに亡くなってしまったからなのかとの思いと、孤独な自分の生命に価値を見出せない気持ちとが「死」に具体的な姿をとらせて深夜の会話の相手にしていたのです。
そんなチェチリアの心を動かしたのは、新任の若い音楽教師。古臭い教会音楽を一新し、小鳥のさえずりや大地の芽吹きを奏でさせる音楽は、まるで聖歌隊席から階下の聴衆に降り注ぐかのような力強く美しいものでしたが、彼女はそこにある種の欺瞞をも感じ取ってしまいました。
その音楽教師の名はヴィヴァルディ。若き日にピエタ附属音楽院の合奏長を勤め、その地位を離れてから生涯を通じて音楽院と深い関係を保ち、「四季」を含む多くのヴァイオリン協奏曲やオペラで名高い音楽家ですが、チェチリアは彼のどの部分に欺瞞を感じたのでしょう。
それはヴァイオリン演奏の高める中で自己表現に目覚め、「死」から自由になり、自由を望むようになったチェチリアの才能を、音楽院にとどめておきたいというヴィヴァルディの嫉妬だったのです。
「囚われの身」の代償を問うチェチリアに「音楽と名声」と答えるヴィヴァルディ。その答えに満足できない彼女は「私の幸福と名声を取り違えることはできない」と、自立を志すのですが・・。
「スターバト・マーテル(悲しみの聖母)」とはヴィヴァルディも作曲した賛歌。最近、ヴィヴァルディと音楽院の少女たちの触れ合いを描いた大島真寿美の小説、『ピエタ』を読みましたが、同じ題材で全く異なるテーマになるんですね。
現在は「聖母マリア児童施設」となっている、まさにこの施設で生まれた著者は、本書でイタリア文学界の最高賞であるストレーガ賞を取りました。
2011/11