りぼんの読書ノート

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シッダルタ(ヘルマン・ヘッセ)

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釈迦の出家以前の名前を借りて、求道者が悟りの境地に至るまでを描く、ヘッセ文学のエッセンスというべき作品です。

婆羅門の家に生まれ、両親や友人たちから愛を注がれて育った主人公は、父の反対を押し切って沙門の道に入って苦行を重ね、師を越えるまでになりますが、この道の行く先に真の救済はないと知り、涅槃に達したと噂されるゴータマ(仏陀)の教えを請いにいきます。

ゴータマが悟りに達していることは認めながら、なおその教えに一点の不完全さ、万人を悟りに導くことの困難さを感じたシッダルタは、ゴータマに帰依した友人とも道を別ち、衆生の中に入っていくのです。

それは、それまでの全てを無にしてしまう道でした。遊女カマラの寵愛を得て事業で成功を収めた年月の後で、シッダルタは、自分が若い頃に抱いていた志を失っていたことに気づかざるをえません。しかし絶望して河に身を投げようとした時に、修行では消しえなかった自我から自由になっていることに気づくというのですから、まさに大逆転。

やがて河の渡し守となって河から学び続けていたシッダルタのもとに、以前の友人でゴータマに帰依していたゴヴィンダが訪れてきます。今なお悟りを求め続ける友に対して、シッダルタは「一切をあるがままに愛する境地」に到ったことを話すのですが・・。

美しい作品です。ヘッセのインド研究の深さも感じられます。まぎれもない名作ですが「なお一点の不完全さ」を感じるとするならば、「西欧人から見た東洋的な悟り」にすぎるという点でしょうか。初読の時にも「自我との闘いがそこまで壮絶で厳しいものなのか」との感想を持ったことを思い出しました。

2011/11再読