りぼんの読書ノート

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オリクスとクレイク(マーガレット・アトウッド)

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マッド・サイエンティストによる人類文明崩壊の物語ですが、旧人類をほぼ滅亡させたクレイクによって創り出された新人類「クレイカー=クレイクの子供たち」の設計思想がそのまま、現在の人類に対する警鐘となっています。

狩猟も農業もしない採集者であるがゆえに、縄張り意識や差別意識をもつことはない。多くの哺乳類と同様に発情期を持ち、絶え間ない性衝動とは無縁であるため、征服欲は生まれない。数年で成人となって老化しないままに30歳で死ぬものの、死を意識することはない。

家系図も、結婚も、衣類も、有害なシンボリズムを持つこともないけれど、芸術には要注意。次には偶像を創り出し、葬式、来世、罪、文字、王と続き、やがては、奴隷制度や戦争を創り出すことに繋がっていくから・・。あらゆる種類の象徴的思考は、破滅へと結びつくというのです。

そして人類の文明は「一度叩きのめされたら、二度と再建できない」のでしょう。表層にある金属は採掘しつくされているため、青銅器時代鉄器時代も鋼鉄の時代もないし、ほかの時代も生まれないと、クレイクは言うのです。文明を捨て去るためには、たった一世代を取り除くことで十分・・とは怖ろしい事実かも。

本書は、かつてクレイクの友人であり、旧人類が消え去った世界にひとり残されたジミーが「クレイカー」の世話をしながら、「文明の語り部」として読み手のない「人類滅亡の物語」を綴る形で進んでいきます。神をも畏れぬ遺伝子工学万能の近未来を設定した著者が、あえて文系のジミーを生き延びさせた意図を考えてしまいます。

元の名前を捨て去って、今はスノウマンとのみ名乗るジミーは、何を思うのでしょう。そして、かつてクレイクもジミーも心惹かれたオリクスとは、どんな少女だったのでしょう。クレイクの狂気は実現したかに見えるのですが、実のところはわかりません。クレイクは「クレイカー」から夢を除去できませんでしたし、そもそも「クレイカー」との呼び名が「造物主としてのクレイク」を想起させるのです。

著者は、本書を第1巻として『マッド・アダム三部作』とする構想を持っているとのこと。コーマック・マッカーシーザ・ロードや、村上龍歌うクジラなど、大家による終末小説が相次いで書かれるような時代に私たちは生きているということを、あらためて思わされます。

2011/4