安ホテルで殺害されたヤク中の正体と犯人を追う捜査の中から、とんでもない陰謀が浮かび上がってくる物語なのですが、その陰謀を理解するためにはこの世界の背景を知らなくてはなりません。
場所はアラスカのシトカ。第二次大戦前夜、ドイツにおけるユダヤ人迫害が深刻化する中でルーズベルト政権が計画した、アラスカへのユダヤ人亡命者受け入れが実現した世界なのです(史実では実現しませんでした:注)。さらに、1948年に建国されたばかりのイスラエルはアラブ諸国との戦争に敗れてユダヤの民はみたび国家を喪失することとなっています(史実では勝利して現在に至っています)。
大量のユダヤ難民がシトカに流入し、ここが世界で唯一、ユダヤ人が統治する地域となっているのですが、60年の特別区統治権は失効寸前であり、翌年にはアラスカに返還されることになっている・・という歴史改変がなされている世界なんですね。
ユダヤ宗教指導者が影響力をふるい、ロシア・マフィアが巣食い、アラスカ先住民のトリンギット族が返還を期待するシトカの街を、事件を追って捜査するランツマンが見出した事実は、殺害された青年は、生まれながらに他者に祝福を与える力を有して、救世主ともなりえた人物だったという衝撃の事実。
では、彼はなぜ殺害されなくてはならなかったのか。事件の背景には、よたび国を失うこととなるユダヤの民を利用しようとする、恐るべき陰謀があったのですが・・。
ところで、この小説ではチェスが大きな役割を果たしています。殺害された青年が最後に残していた棋譜は、動いたら負けになるのがわかっていながらパスは許されない「ツークツワンク」と呼ばれる局面でした。どう指しても負ける状況。その中での、殺害された青年の選択も、警部の選択も、同じ負けるのでも最善手を指すことだったのです。
いや~。堪能しました。ハードボイルド調ではじまった小説がこんな展開になるとは、想像を超えていました。民族のアイデンティティが、民族国家と領土を占有を目指すのは必然なのか。それとも、他の生き方があるのか。考えれば考えるほどに深いテーマです。
2011/1