りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

密会(ウィリアム・トレヴァー)

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1928年にアイルランドに生まれてイギリスに暮らす、英文学界の重鎮による短編集。本書は76歳の時に執筆されたものですが、どの作品も「円熟」という言葉がぴったりで、登場人物の心の奥底で揺れ動く感情を鮮やかにすくい取った手際のよさを感じます。とりわけ、各作品の末尾近くにある、ほとんど警句のような纏めの文章が効いています。それに加えて、深い余韻を残してくれるのですから、人間を深く見つめた方なのでしょう。他の作品集も読んでみたくなりました。

死者とともに:慰安に訪れた慈善団体の姉妹に、夫を亡くしたばかりの妻が語る喪失感は、横暴で支配的だった亡夫に対する、思わぬ怒りに変わります。長く連れ添った夫婦の間に残るものは、悲しみとか憎しみとか、そんな単純な言葉で表せるものではありません。「夜が運んできた亡霊は彼女のもの、昔の自分自身の姿だったのだ」

伝統:学校には内緒で学寮の友人たちと買っていたカラスを殺害した犯人は、「ガール」と呼ばれるメイドに違いないと直感した少年は、彼女に惹かれていくのを感じます。今は中年の「ガール」は、学寮の伝説のひとつともなっている女性なのですが・・。

ジャスティーナの神父:頭の弱い少女からの告解を密かな楽しみとしている神父は、愚かな友人の誘いに乗ってダブリンに行きたいという彼女の願いを押しとどめます。「告解室ではまた必要のない懺悔が繰り返され、彼の顔に神を見るその顔に喜びがあふれるだろう」

夜の外出:初対面のデートで互いに相手の嫌な本性を見抜いてしまった、あさましい男と自分の孤独を認めたくない女が、相手を責めることなく食事をして別れていきます。「彼らはお互いを利用したということに、ある種の尊厳を感じていたのだ」

グレイリスの遺産:かつて文学作品を語り合った孤独な未亡人の遺産受取人に指名され、誤解をおそれてとまどった図書館司書は、思い出だけでいいと決意して満足感を覚えます。「暗黙の愛を大切に思う裏切りの影のなかに、あの冬の花がひっそりと散らばっていた」

孤独:少女時代に母親の浮気相手を事故で殺害してしまった女性は、両親も亡くなった今、自分を守るために放浪生活に出た家族の物語を誰かに伝えておきたいと思うのですが・・。「わたしには、語りたいことを語る救いは与えられない」

聖像:夫の才能を見出して彫刻家への道を勧めた女性は既に支援を続ける余裕を失っており、生活に窮した妻は、子どものいない裕福な夫婦に娘を養女に出す話をもちかけて拒まれます。「やるべきことをやらなかったのは、彼女ではなく、世の中だった」

ローズは泣いた:両親が娘の家庭教師に感謝を示すため夕食に招いたその晩も、家庭教師の妻は浮気をしていることを、少女は知っていました。「彼女の前途にある若い人生と、また裏切りに出会うことに備えて、ローズは泣いた」

大金の夢:アメリカで稼いだら一緒に暮らそうという婚約相手の男の夢は破れ、アイルランドに戻るから結婚しようとの申し出を受けた女性は、相手に対する愛に自信を失ってしまいます。「彼女は、彼と結婚していたら、今の自分よりもっと孤独だったにちがいないと気づいてしまった」「彼らが愛したのはアメリカだった。それぞれが自分の喜びを深めていたのはアメリカだったのだ」

路上で:職場での些細なトラブルを生涯引きずっている元夫は、その話を繰り返すためにだけ元妻を路上で待ち伏せます。ただ淡々と聞いているふりをすることだけが、元妻が元夫の狂気から逃れる手段のよう。救いがどこにもありません。

ダンス教師の音楽:14歳の時にただ一度聴いたピアノ音楽を生涯大切に思い続ける老メイド。「彼女が人生で出会った奇跡のようなものが、この場所に宿る魂として、そこにもある」

密会:幾度も密会を重ねた中年男女が、やがて倦み疲れて未来に訪れるであろう不幸を恐れて別れていきます。「今日、愛は何も壊されなかった。彼らは愛を抱きつつ離れてゆき、お互いから立ち去った。未来にはまだ、しばらくのあいだ愛し合ったときの彼ら自身がいるのだろう」

2011/1