りぼんの読書ノート

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シモン・ボリーバル(神代修)

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かつてガルシア=マルケス迷宮の将軍を読んだときには、この人の存在自体を知らなかったので、全然ピンとこなかったんです。読み返してみたくなりましたので、今度は予習しておこうと思い、この本を借りてきました。

世界一銅像が多く建てられているのは、この人だそうです。統一コロンビア共和国を夢見て、南米大陸アンデス5カ国をスペインから独立させ、ラテンアメリカで「解放者(El Libertador)」と呼ばれている英雄を知らなかったとは恥ずかしい限りですが、南米はそれだけ遠いということでしょう。

メキシコからアルゼンチンに至るヒスパノアメリカ諸国の独立の裏には、ナポレオンがいたんですね。1808年に本国スペインがナポレオンに破れたことと、大陸封鎖例が本国と植民地との連絡を途絶させたことが、自立化を決定的に促進させたとのこと。もともと、一握りの本国出身者による広大な地域の「支配」に無理があったようです。かつての征服者たちの子孫は現地で大地主化して「クリオージョ」と呼ばれる支配層になっていたのですが、本国との矛盾が高まって独立に至った点は合衆国とも似ています。

1783年にベネズエラの大地主の名家に生まれたシモン・ボリーバルは、若くして独立運動に身を投じてミランダ将軍の配下となりますが、カラカスを失った将軍がスペイン軍に降伏した際に、徹底抗戦を主張して頭角を現わします。

独立軍司令官となったシモンは何度もスペイン軍に破れ、一時はジャマイカやハイチに逃れたりもしますが、かつては王党派であったジャネーロ(カウボーイ)を味方につけ、ハンニバルのアルプス超えを髣髴とさせる「アンデス超え」の機略で決戦に勝利。現在のベネズエラ・コロンビア・パナマエクアドルを「コロンビア共和国」として独立させて、初代大統領に就任。さらに余勢を勝って1823年には低地ペルー、1825年には高地ペルーを解放し、後者は彼の功績を讃えてボリビアと名づけられますが、そこが人生のピークでした。

大コロンビア共和国、ラテンアメリカ連合の維持というシモンの理想は、新支配層に受け入れられず、各地で内乱や紛争が勃発。かつての部下だった将軍たちにも反乱を起こされ、やがて健康も害して、1830年に47歳の若さで世を去るのです。

シモン・ボリーバルは、なぜラテンアメリカのワシントンになれなかったのか。独立後のラテンアメリカは、なぜ合衆国のような道を歩むことができなかったのか。元をたどれば、人口の大半を占めるインディオを無知と貧困の中に置き去りにしていたスペインの植民地政策が、その後の独裁制に結びついたと思えますが、難しい問題です。では、晩年のシモン・ボリーバルを描いた『迷宮の将軍』の再読にとりかかりましょう。

2010/11