りぼんの読書ノート

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メイスン&ディクスン(トマス・ピンチョン)

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アメリカ独立戦争の直前のこと。ともにイギリス国王の勅許状によって中間の州境地帯の領有を主張するペンシルヴァニアとメリーランドの両植民地の境界を定めるよう、天文学者のチャールズ・メイソンと測量士のジェレマイア・ディクソンに依頼が舞い込みます。

この2人が引いた「メイスン=ディクソン線」は、後に重要な意味を持つことになります。やがては南部奴隷州と北部自由州を隔てる境界線となり、南北戦争の舞台となるのですから。ちなみに、アメリカ南部を指す「デキシーランド」という言葉もここから生まれたそうです。本書は、メイスンとディクソンが、スマトラ喜望峰で行われた金星の太陽面通過の観測で知り合うところからはじまって、アメリカでの測量を行っていく物語ですが、ピンチョンのことですから、単純に史実を追うだけではありません。

憂鬱症気味で引っ込み思案なメイスンと、酒飲みで女好きのディクスンが繰り広げるのは、「コミカルな珍道中」なんです。2人が出会うのは、ワシントンやフランクリンなどの「建国の父たち」だけでなく、しゃべる博学英国犬やら、フランス人料理人を追う人造鴨やら、ゴーレムを生んだプラハの律法博士やら、謎の中国人風水師やら、米蛮の案内人やら。悪い冗談のような奇想や妄想が忍び込んできて、物語は脱線を繰り返すのです。

しかし、本書を貫いているシリアスな問題は「奴隷制」の存在です。世界全体を覆っているかのような「奴隷制」の存在に行く先々で出会ってしまう2人は、「線」を引くこと自体が孕んでいるかのような「悪」について考えざるを得ないのです。「亜米利加だけは、そういうのがいない筈だったじゃありませんか・・」

死を前にしたメイスンのもとに、地球がひとつの構造物であり、宇宙からメッセージを受ける存在であるとの幻想が訪れます。朦朧とした頭に浮かんだものは、人間が作り出した「悪」など所詮はかないものだという一種の希望に違いありません。「結局とても簡単なことだったなぁ。そう思わないか・・」

著者が20年かけて、18世紀の英語で書き上げた小説を平易に楽しめるのは、翻訳者の柴田さんのおかげです。その柴田さんは、「とにかく深読みせずに楽しんで欲しい」という趣旨のコメントを後書きに記していますが、ミュージカルのように突然歌い出す2人とともに、「誰も見たことのないアメリカの旅」を十分に楽しませていただきました。「サァ行かん印度へ 東の地へ 御伽の国よ 宴の里よ 土耳古人の住む地で 奴隷の如く這い蹲って 我ら天文観測士 仕事と云われりゃ何でもやりまっせ!」^^

2010/9