りぼんの読書ノート

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求天記 宮本武蔵正伝(加藤廣)

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宮本武蔵というと、昔なら吉川栄治の小説、最近ならコミックの「バガボンド」。器の大きな悪ガキが修行や真剣勝負を重ねながら、宗教者との出会いもあって、剣の道を究めていく中で悟りを得た人物というイメージができあがっているのではないでしょうか。(「バガボンド」は未読ですので、間違っていましたらご指摘ください)

そのイメージはもともと、後に小笠原藩の執政となった武蔵の養子・伊織が残した記録によるそうですが、養父を顕彰する脚色も多く含まれていて信憑性には疑問があるとのこと。

では真実の「武蔵像」はどうだったのか。史実から浮かび上がってくるのは、腕に覚えはあり大望を抱いていたものの、戦国末期の軍制改革からは取り残されてしまい、「武人」であっても「武将」たりえなかった人物のようです。書画や作庭は、士官が叶わなかった時代に身につけた趣味というところ。

でも、これだけではおもしろい読み物にはなりませんよね。信長の棺で「秀吉による信長謀殺」を打ち出した加藤さんは、史実と抵触しない範囲でいくつかの新機軸を付け加えています。

1つめが、細川藩による「小次郎謀殺」説。ガラシャ夫人以来キリシタン家臣も多かった細川藩が、キリシタン弾圧へと急速に舵を切った幕藩体制下で生き延びるため、キリシタンの剣術指南役・佐々木小次郎を抹殺する必要があり、武蔵は道具として使われたとの設定。小次郎を倒した武蔵がどうして仕官できなかったのか、なぜ細川藩は晩年の武蔵を厚遇したのか、つじつまは合っています。

2つめは、大阪の役で武蔵がどちらの側に立ったのかという点。通説では「豊臣方」とされますが、実際は水野勝成の客将として徳川方に参陣したとのこと。加藤さん、この矛盾を解決するために苦労しています。真田幸村に心酔して「冬の陣」では大阪方であったものの、幸村の説を容れずに「夏の陣」では見殺しにした大阪方を見限ったというのですが、これは苦しいですね。

3つめは、柳生一門は徳川のスパイ網ではなかったかという説。目新しくはありませんが、幕府が各藩の剣術指南役として柳生一門を押し付けたことが、武蔵のような一匹狼の仕官の道を閉ざすことになっていったのかもしれません。

4つめは、通説では武蔵と不仲だったとされている、義父の新免無二斎との関係。無二斎が率いて宇喜田に仕えていた新免一党は関が原のあとで散り散りになったものの、影では武蔵を支え続けていたとされるのですが、どうなのでしょう?

決して気宇壮大な作品ではないものの、小次郎の遺児とのエピソードを含め、「よく纏まっている作品」という印象です。結局あまりおもしろくはなりませんでしたが、晩年になっての細川藩家老・長岡佐渡や、水野勝成との交流に焦点を当てて武蔵の半生を振り返った、滋味のある作品です。

2010/9