幼馴染みの友人ファンショーが、美しい妻と小説の原稿を残して失踪してしまいます。小説を出版するのか、焼き捨てるのかは「僕」の判断に委ねるとの置手紙を残して。小説は傑作であり、出版されて好評を博します。主人公は残された友人の妻ソフィーを愛するようになって、2人は結ばれます。
何の問題もないはずでした。ファンショーが「僕」の偽名ではないかという噂が流れ始めるまでは・・。そして、ファンショーからの手紙を受け取るまでは・・。ファンショーを捜し求めていくうちに、主人公の気持ちは混沌としていきます。「僕」は、親友を愛していたのではなく、憎んでいたのだろうか。ファンショーは本当に、現実世界にいたのだろうか。ひょっとしてファンショーは、「僕」ではないのだろうか。
「ニューヨーク三部作」の他の2冊と同様、他者を捜索しているうちに、自分の存在が揺らいでいくのです。とはいえ、完全に他者になりきれるわけでもない。結局のところ他者とは「鍵のかかった部屋」なのですから。
作品の中で著者は、『ガラスの街』、『幽霊たち』、そしてこの本、三つの物語は究極的にはみな同じ物語なのだ。ただそれぞれが、僕が徐々に状況を把握していく過程におけるそれぞれの段階の産物なのだ」との文章を挿入しています。これらの作品は、自分のために書かれた小説なのですね。
ですから、読後感は爽やかなのです。作者は、自分自身という「鍵のかかった部屋」の外に出ることができたのですから。
2010/9