りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

2010/8 サラの鍵(タチアナ・ド・ロネ)

めちゃくちゃ暑い日が続きましたが、読書量は落ちませんでした。今年の夏はあまり休めず、せっせと通勤していたからでしょうね。通勤電車内が、最大の読書場所なんです。それとベッドの中。^^

8月には大御所の若いときの作品を2つ読みました。アーヴィングさんの処女作『熊を放つ』と、ハインラインさんの『夏への扉』。作風は全く異なりますがどちらも若々しさに溢れ、みずみずしい感性が光っています。
1.サラの鍵(タチアナ・ド・ロネ)
自分が手を下したわけではない過去の悲惨な出来事に対して、人はどう向き合って、どんな態度をとることができるのでしょう。フランス人の手によるユダヤ人狩りヴェルディヴ」を取材したジュリアは、夫の祖母のアパルトマンから60年前に連行された少女サラの記録を入手します。サラの悲しみを自分の悲しみとして捉えることによって、ジュリアは自分自身と向き合っていくのですが・・。

2.熊を放つ(ジョン・アーヴィング)
大戦前後のウィーンとユーゴスラビアの混乱と悲劇を一身に背負ったような両親の思いを、「動物園解放」というかたちで昇華を試みる破天荒な青年ジギーと出合った、落ちコボレ学生のグラフが、ジギーの遺志を継ごうとする物語。後に『ガープの世界』で花開く「圧倒的な物語」の萌芽が見て取れる作品です。

3.数えずの井戸(京極夏彦)
「数えること」は人生への満足や不満を象徴する行為なのでしょうか。「皿屋敷怪談」のどのバージョンもつじつまが合わないとして退けて、「真実」に迫るという冒頭から、『百物語』の又市と徳次郎が事件を振り返る終章までが、一気の展開です。本書では2人の別の人物として描かれる「青山播磨守主膳」が
対峙して一体となったときに生まれるものは、狂気にほかなりません。

4.読んでいない本について堂々と語る方法(ピエール・バイヤール)
「本は読んでいなくてもコメントできる。むしろ読んでいないほうがいいくらい」? 完璧な「読書」と完璧な「非読」との間にある「未読の諸段階」の議論は、読者を迷路に誘い込みます。でも「読んでいない本について語る」とは「自分自身を語る」との意味で自己発見であり、「創造的プロセスへの第一歩」なんですって。それが言いたかったのか・・。ここに記しているレビューの意味すら、考えさせられてしまいました。



2010/8/31記