りぼんの読書ノート

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放浪記(林芙美子)

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桐野夏生さんのナニカアルを読んで、林芙美子さんの原点であるこの本を読んでみたくなりました。ジュブナイル版しか読んだことがなかったのです。でも、こんなに強烈な本のジュブナイル版って、どんな内容だったのでしょう(謎)。

「私は宿命的な放浪者である。私は古里を持たない。旅が古里であった」との有名な言葉ではじまる本書は、ふるさとをもたない少女期の回想を序に置き、女学校を終えて上京してから結婚に落ち着くまでの数年の間、都会の底辺を這い回った体験を綴った自伝的な青春小説です。

まずは、この時期の芙美子の実生活をたどってみましょう。尾道時代に将来を誓い合った青年・岡野は、周囲に結婚を反対されたため、大学卒業を機に芙美子を東京に残して帰郷。やがて同棲をはじめた俳優・田辺との関係は、金銭トラブルがもとで数ヶ月で破局。次いで知り合った詩人・野村とは、野村の暴力と愛人問題で破局。友人の紹介で、理解ある画家の手塚緑敏と出会って内縁の結婚にこぎつけたのが23歳の時。芙美子の放浪生活は、ようやく終わりを告げます。

ダメンズたちと付き合っている間、カフェの女給、夜店の商人、セルロイド女工などの職を転々とし、やはり金のない母と義父に仕送りを求められ、飢えに苦しみ、女郎に身を落とすことまで考えるような最低限の生活をしながらも、芙美子は本を読むことはやめず、詩や童話を書いては出版社に持ち込み、文学への夢を失うことはありませんでした。

だから、「死ぬまでカフェーだの女中だのボロカス女になり果てる」と底辺の仕事を嘆き、「あの編集者メ、電車にはねられて死なないものかと思う」と不実な出版社を恨み、「この雪の夜もどこかで子どもを産んでいる女がいるに違いない」と平和な家庭を羨み、悲惨な現実に悲鳴をあげているのに、不思議と明るいんです。

無料の酒荷船に乗せてもらって尾道へ帰郷する際には、「少女時代を過ごしたあの町を、一人ぽっちの私は恋のようにあこがれている」と天真爛漫によろこび、逆境の中でも「富士山よ。お前に頭をさげない女がここにいる」と詠う自負心を失わないんですね。ひとつひとつの文章が、芙美子の人柄を率直に現わしているようです。

新潮文庫版は、3部まである『放浪記』を1冊に収めています。第1部は、「女人芸術」に掲載した手記が改造社から出版されてベストセラーとなった出世作。第2部は、同時期の出来事をより詳細に綴ったと思える『続放浪記』。第3部は、発禁を恐れて未発表であった部分を戦後になって連載したもの。ですから読者は、同時代の芙美子に3回出会うことができるんです。

交流のあった平林たい子岡本潤壺井栄壺井繁治らが、この時期の芙美子のことを、それぞれ小説に書いているそうです。読む機会があるでしょうか?

2010/7