りぼんの読書ノート

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アラスカ物語(新田次郎)

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明治中期にアラスカにたどり着いて、エスキモーの女性を妻としてエスキモー社会に溶け込み、エスキモーたちを率いて新天地への移住を行いて「ジャパニーズ・モーゼ」と呼ばれた男がいたというのですから、驚きです。

その男・フランク安田は宮城県石巻に生まれ、三菱汽船の給仕として単身アメリカに渡り、アラスカ沿岸警備艇の乗組員となったことを機に、北極海沿岸のエスキモー集落に入って第二の人生をはじめます。当時、19世紀末から20世紀はじめにかけて、エスキモーは絶滅の危機に瀕していました。原因は、白人による鯨やカリブー乱獲による獲物の激減と白人のもたらした麻疹などの伝染病。まだ、アメリカ政府によるエスキモー保護政策が実施される前の時代です。

フランクは、アラスカのゴールドラッシュで一山あげた金鉱ハンターに協力した縁から、ブルックス山脈を越えた内陸部への集団移住を率いて、ユーコン川中流に「ビーバー集落」を作り上げるに至るのですが、もちろんそれは並大抵の苦労ではありません。

移住のための資金作りや、その地域のインディアンと共存するための方策はもちろんのこと、何千年も海岸で狩猟生活をしてきたエスキモーの生活様式の変革が大変なんです。生肉だけの食事から調理した食事に切り替えさせ、不足するビタミン摂取のためには野菜を食べさせなくてはならないし、食料の分配や節約を教え込み、金銭感覚を身につけさせるなんていう、エスキモーには想像を絶することまでさせなきゃならない。そうそう「一夫一婦制の徹底」なんてこともありました。

そこまでしても内陸部へ移住しなくてはならないほどに、エスキモーの生活が追い込まれていたわけですが、何よりもこれが実現できたのは、移住を指導したフランク安田が、信頼され期待されていたことが一番の理由でしょう。日本人がなぜ、エスキモーのリーダーとなって彼らからの敬愛を勝ち得たのかを、新田さんは丁寧に描き出してくれます。

一方で本書の底流にあるのは、当時の白人至上主義による人種差別への問題提起です。エスキモーとはいえ、アメリカ国民にそこまで尽くしたフランク安田を晩年に襲った運命は、あまりにも悲惨であり、象徴的です。日米開戦による強制収容所というのですから・・。

新田さんの本を久しぶりに読みました。『強力伝・孤島』や『孤高の人』など、筋を通した生き方をした人物を力強い筆致で描く方です。もちろん、戦前の満州や富士山での観測所勤務も経験した気象学者だけに、極地の気候を描写する場面の素晴らしさは、天下一品です。

2010/2