本書の主人公は、サイード(幸せな男)という名を持つありふれたパレスチナ人男性ですが、イスラエル建国時に一旦レバノンに脱出したものの、ある事情によって再びイスラエルに密入獄を果たし、イスラエル人のボスと政府から苦しめられながら生きています。
彼ははぜ「悲楽観屋」なのか。それは、理不尽な迫害にあうことを悲観的に予測して(その予測はいつも当たってしまいます)、苦しい状況に置かれてもより悲惨な状況を想像して「それよりはマシ」と楽観的に思えること。「より悲惨な状況」というのが、十字軍時代やティムール時代の残虐な出来事というあたりは悪い冗談としか思えませんが、そうでも思わなければ生きていけないのでしょう。
イスラエル官憲に恋人を連れ去られても、抵抗運動に走った息子と妻を失っても、サイードはイスラエルに仕え続けるのですが、そんな彼にも本当の災厄がやってきて、不思議な失踪を遂げてしまいます。本書は、宇宙から彼を訪ねてきた神のもとに旅立ったサイードからある小説家に送られてきた手紙という形式をとっているのですが、果たして彼は、神と出会うことができたのでしょうか。
本書の著者は、サイードと同様にイスラエル建国後も国内に残り、イスラエル共産党の主要メンバーとして国会議員を務めるなど、ジャーナリストおよび政治家として活躍し、イスラエル政府とPLOの双方から賞を受けるという経歴の持ち主です。
コミカルな語り口のせいで一気に読めますが、本書に描かれた時代は1950年から70年代。昨今の情勢は「笑い飛ばすしかない状況」さえも超えてしまっているように思えます。ヤスミナ・カドラの『テロル』のような、テロと弾圧が直接対峙する世界に降臨するのは、残虐な神だけなのでしょうか・・。
2008/11