りぼんの読書ノート

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皇妃エリザベート(藤本ひとみ)

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近世から近代にかけてのヨーロッパ史は、そのまま、ハプスブルグ帝国の衰退の歴史です。16歳の時にオーストリア帝国の最後の皇帝となったフランツ・ヨーゼフ1世と結婚して、美貌と慈悲の女神とうたわれたエリザベートは、ハプスブルグの衰退を早めてしまったのか、それが本書のテーマですね。

どうやら答えは「YES」のようです。王室の伝統やしきたりに囚われない自由闊達な性格や奔放な行動は、時には臣民から愛され、お気に入りのハンガリー自治権を認められて二重帝国化する際には陰の推進者としての役割を果たしたりもしたのですが、それが帝国にとって良いことだったのかどうか。

難題が次々と降りかかる中で長命を保ったフランツ・ヨーゼフ1世にとっては、少なくとも前半の治世においては彼女の存在が唯一の「心を許せる息抜きの相手」であったとのこと。夫をリフレッシュさせて公務に腕を振るわせたという「内助の功」はあったのでしょう。

ただ致命的だったのは、息子ルドルフを自由主義者として育て上げてしまったこと。姑の皇太后ゾフィーから投げつけられた「自由とはそんなに良いものか?」との問いが、呪詛のようにエリザベートに生涯つきまといます。帝国に対する「内部の反抗者」となった皇太子は、最後には薬に溺れ、自暴自棄となって
マイヤーリンクで心中死してしまったのですから。皇太子を失った帝国は老いたフランツ・ヨーゼフ1世の治世を永らえさせ、サラエボの銃弾によって第一次世界大戦に突入して滅亡していくことになります。

しかし、どんな名君が出ても、どんなに優れた皇妃がいたとしても、ハプスブルグ帝国を生き延びさせることは不可能でしたね。中欧やバルカンに吹き荒れた民族主義の嵐や、プロイセンやイタリアの民族統一の機運や、ロシア革命を頂点とする共産主義運動から旧態依然たる帝国が無事でいられたはずはないのですから。ただ、世界大戦という最悪の事態を避ける道筋もあったのではないかとは思うのですが、そんなことは皇妃に望んでも無理というもの。

だから問題は、エリザベートの生き方が個人として幸福な生涯に結びついたかどうかで判断してもよいのでしょう。しかしこの点でも、息子に自殺された母親としては分が悪そうです。

2008/11