りぼんの読書ノート

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光州の五月(宋基淑)

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16年間に渡って軍事独裁政権を築いていた朴正煕大統領の暗殺後、韓国には「ソウルの春」と呼ばれる民主化ムードが起きたのですが、それも全斗煥粛軍クーデターで実権を握るまでの短い間のこと。全国に戒厳令を布告した全斗煥は、反軍部民主化デモが続いていた光州市を封鎖して2万人もの特殊軍(攻守隊)を投入。10日間にわたる抗争の中で市民への発砲を指示し、2千人もの市民が犠牲になったと言われているのが1980年5月の「光州事件」です。

当時、光州の全南大学の教授で抗争の首謀者として逮捕された宋基淑(ソン・ギスク)さんが、500名に及ぶ口述をもとにして、光州事件の真実を小説という方法で世に出したのが本書です。その背景には、大統領退陣後に「市民に発砲を命じた罪」で死刑判決を受けて服役中だった全斗煥が特赦されるという、許しがたい出来事があったのです。

本書の主人公は、光州事件当時には大学浪人生だった男性。恋人と彼女の姉を攻守隊員にレイプされ、怒りのあまりナイフを持って抗争に参加したもののたちまち逮捕拘束されてしまったとの過去を持ち、現在は穏やかな生活を営んでいるのですが、光州事件の際に目の当たりにしてしまった残虐な市民虐殺のことを忘れることはできません。全斗煥の特赦のニュースを聞いて、彼の心中には激しい怒りが立ち上ってきます。

そんな中、元攻守隊の大尉だった取引先の役員が、磯釣りの際に溺死する事件が起きます。殺人の嫌疑を受けたのは、救助のために海に飛び込んだ特殊部隊の元部下の男性。裁判の過程で虐殺の記憶が生々しく蘇ってくるのですが、本書は単純な軍部批判ではありません。過去と現在が重層的に対比されていく中で主人公は、命令を受けて虐殺を行った側もまた、光州事件の一方の犠牲者であったことを認識するのです。もちろん、命令者の犯罪は別の話。

主人公の元恋人の姉は、妹とともにレイプされた事件から立ち直れずに精神を病み、ついには入水自殺してしまうのですが、被害者だった女性と加害者の側にいた男性を「死後結婚」させるというエンディングは、意表を衝かれるけれど美しい。霊を祭ってくれる子孫を持たない未婚者が死亡した際、せめて天国で子孫を残せるように「天国挙式」という韓国の民俗的な風習があるんですね。

互いに犠牲者であったとの認識と、過去を風化はさせないが和解はすべきという民族意識がこのエンディングに結実しているようです。ようやく過去のしこりを振り払えたかのような主人公と元恋人の関係にも、新たな進展を期待したくなります。これほどまでに重いテーマを扱いながら、「読み物」として仕上げた著者の力量は、さすがに韓国の「大作家」ですね。

2008/8/4