りぼんの読書ノート

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ウェイクフィールド/ウェイクフィールドの妻(N・ホーソーン/E・ベルティ)

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しろねこさんが紹介していたホーソーンの『ウェイクフィールド』を探していたら、彼の妻の立場からのアンサー小説とセットになっている単行本を見つけました。

ウェイクフィールド』は不思議な本です。「ちょっと出かけてくる」と妻に言い残して家を出て、本人もそんな気はなかったのに何の理由もなく家に戻らないまま20年に渡って隣の通りに住み続け、再び何食わぬ顔で妻の待つ家に帰ってきて、終生を愛情深い夫としてすごしたという男の物語。

カフカ村上春樹の世界を先取りしたような現代的な作品です。「人間が本来所属する組織からいったん離れると、ウェイクフィールドのように『宇宙の孤児』となるかもしれないのだ」というラストの一文にも深いものを感じます。でも、もっと怖いのは『宇宙の孤児』にまでなってしまった者が、また普通の暮らしに戻れるあたりなのかもしれません。

これを妻の側から見ると、どういう物語になるのでしょうか。オリジナルでは、夫の失踪と20年後の帰宅を淡々と受け入れていたように見える妻には、いったいどんなドラマがあったのか。

オリジナルから100年後に実体を持つ存在として描かれた妻は、何もしないで夫の帰りを待ち続けている受身の女性ではありませんでした。夫の失踪を不思議に思って勤め先まで確認に行ったり、実家に相談したりするだけでなく、あろうことか、夫が隣の通りに住んでいることまで突き止めてしまうのです。

しかし彼女は、家に帰るよう夫に詰め寄るような女性でもありませんでした。夫の変装を見破っていることに気づかれまいとして逆に身を隠し、20年かけて夫の不在を受け入れようとするのです。それは、彼女が消極的で古風な女性であることを意味しているわけでもなさそうです。むしろ、理不尽さを積極的に受け入れる現代的な女性と思えるのですが、いかがでしょう。

夫の帰宅後の展開は意外でしたが、納得できるものでした。「宇宙の孤児」にまでなってしまったウェイクフィールド氏を受け入れるには、確固たる基盤が必要だったのでしょうから・・。

2008/3