りぼんの読書ノート

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エンダーの子どもたち(オースン・スコット・カード)

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前作『ゼノサイド』は中途半端なところで終わっていました。エンダーらの住む惑星ルジタニアに蔓延している致死性ウィルスのデスコラーダは、毒性を取り除かれましたし、汎宇宙的なネットワークに潜む知性体ジェインによって、宇宙空間の瞬間移動も可能となります。

でも、肝心の問題は未解決だったのです。スターウェイズ議会が派遣したルジタニア粛清艦隊は接近中だし、正体を知られたジェインを抹殺しようとネットワーク遮断計画も進行中。そしてそもそも、デスコラーダを送り込んだ正体不明の生物種も存在しているらしいのです。

危機を回避すべく、エンダーの妻ノヴィーニャの子供たちや、エンダーが生み出してしまった兄ピーターと姉ヴァレンタインらが動き出します。ピーターは中国系惑星パスが生み出した天才少女ワンムと組んで議会の説得に向かい、若きヴァルはノヴィーニャの長男ミロと組んで移住可能な惑星の探索に。そんな中、自らの生命維持に関心を失いつつあるエンダーに死期は迫り、ジェインの棲むネットワークもついに遮断されてしまうのですが・・。

スターウェイ議会の穏健派の精神的支柱が、大江健三郎父子をモデルにした「ヒカリ」という日本人哲学家(健三郎の息子がヒカルです)だったり、惑星パシフィカに住む大賢人マルはまるでサモア系の神々のようだったりして、前巻の中国系惑星に続いて作者の東洋哲学趣味にはかなり辟易させる部分も。

敬虔なモルモン教徒である著者がたどりついた境地なのでしょうが、全ての命あるものの生を願う「大きな愛」と、自らの周辺の者たちの幸福を願う「小さな愛」とを共存させようとして悩み苦しむ主人公たちも相当に宗教臭く、エンダーなどまるで聖者のよう。『エンダーのゲーム』にはじまる「エンダー・サーガ」は、どのように完結を迎えることになるのか、興味のある人には必読の一冊だと思いますが。

2008/3