りぼんの読書ノート

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イラク水滸伝(高野秀行)

これまで、アフリカ内陸部、アマゾン、ミャンマーブータンソマリランドなどの冒険に挑んできた、「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」とのポリシーを有する著者が次に選んだのは、アフワールでした。そこはイラク南部でティグリスとユーフラテスが合流する付近に広がる大湿地帯。馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからなくなり、古代から権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む地域。世界最古の文明シュメール文明の発祥地にほど近いアフワールを「元祖・梁山泊」と名付けた著者は、数年がかりで

 

ほとんど予備知識もないままアフワールに出かけた著者は、そこで見たもの、聞いたこと、出会った人についての「生の感覚」を記録し、いったん帰国して専門知識を学んだうえで再び現地に赴きます。現地では腕のいい舟大工に伝統的な舟「タラーデ」を作ってもらい、「名人の舟」をパスポート代わりに悠々と湿地帯を巡る旅をする予定でしたが、なかなか実現しません。さまざまな危険を回避し、文化や風習の違いを乗り越えたつもりになっても、予想外のことが起き続けるのです。

 

湿地民のリーダー格である「ジャーシム宋江」、大人の風格を漂わせる「マフディ蘆俊義」、著者たちの通訳兼参謀役となる「アヤド呉用」、ジャーシムの右腕である「船頭アブー」ら「好漢たち」の協力を得ても、事態はなかなか改善しません。なんせ相手は、紀元前から湿地帯に逃げ込んで以来ずっと教えを守っている古代宗教「マンダ教徒」であり、一族内で結婚を繰り返す閉ざされた民であり、サダム・フセインによって干上がらせられた湿地帯を復元させた古代からの水上の民「マアダン」なのですから。それでも、いやだからこそ著者の「試行錯誤と悪あがきの旅」の記録はおもしろいのです。

 

イラクとイランの国境が近いこと、宗教と国家による統制が強まってきていること、そして何より上流でもダム建設や取水によって湿地帯が縮小していることによって、「5千年以上続いてきた非文明/反国家の灯はゆっくりと失われている」ようです。それでも著者が期待するように「その場しのぎの驚異的な脱出法」が披露されることがあるのかもしれません。「元祖・梁山泊」の好漢たちは、今でも「底抜けに明るく楽しげ」だということですから。

 

2024/10