りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

チンギス・ハーンの一族2.中原を征く(陳舜臣)

f:id:wakiabc:20200321171016j:plain

一度はモンゴルに臣従しながら旗を翻した西夏を滅ぼし、金の征服に向かう途上でチンギスは病死。壮大なモンゴル紀の第2巻は、一代で大帝国を築き上げたチンギス亡き後の第2世代の物語になっていきます。 

 

カザフスタン以西の征服を委ねられた長男ジュチは父親に先立って病死しており、孫のバトゥゆの世代になっていたため、後継者争いから脱落。バトゥは広大なキプチャク・ハン国の支配を委ねられ、やがてロシアや東欧諸国に向かう征討軍を率いることになります。 

 

次男チャガタイは、激しい気性の持ち主で長兄ジュチと不仲であったことから、チンギスによって後継者候補から外されていたようです。中央アジア西部の広大な地域にチャガタイ・ハン国の支配を委ねられるとともに、厳格な一面を評価され「法の番人」として帝国全土ににらみをきかせることになりました。 

 

末子相続の慣習を有するモンゴルでは四男トゥルイを押す声も高かったものの、チンギスが後継者として指名したのは、温厚な性格の持ち主であった三男オゴディでした。最大の武力を引き継いだトゥルイは、妻ソルカグタニの助言もあって身を引いたとのことですが、この時に次はトゥルイ家を後継とするとの密約があったとされ、後に両家が争う原因となっていくのです。 

 

第2代の大ハーンとなったオゴディはカラコルムに首都を築き、チンギスの覇業を受け継いで積極的な領土拡大を行います。東方では金を滅ぼし、西方ではバトゥに命じてロシア、ポーランドハンガリーを制圧させ、さらには息子クチュに大軍を率いさせて南宋への遠征軍を送り出すのです。しかし酒色がたたったのか、オゴディは短命に終わり、各地の遠征軍は後継者選出会議クリルタイのためにカラコルムへと帰還。オゴディの死が南宋を延命させ、ウィーンを救ったとのこと。 

 

第3代の大ハーンとなったオゴディの息子グユクはわずか2年で病死し、第4代には母親ソルカグタニの工作もあってトゥルイ家のモンケが選出されます。この巻の主な語り手は、マリアとも親しかったソルカグタニなのですが、一族の歴史を綴るのは母親がふさわしいのでしょう。著者も、モンゴルが崩れないように護ってきたのはトゥルイ妃であり、4兄弟の母親であった彼女であったのではないかと、マリアに語らせています。 

 

2020/4再読