りぼんの読書ノート

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チンギス・ハーンの一族1.草原の覇者(陳舜臣)

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北方謙三さんが『チンギス紀』を執筆中であることを機に、全4巻の本書を再読。本書の主題はチンギスに始まる「一族」の興亡を描き切ることにあるため、大主役のチンギスは早くも第2巻の中盤で亡くなってしまいます。「語り継ぐ人物」が必要となるのですが、著者が選んだのは「ナイマンのマリア」。モンゴルの隣国の王女で、ネストリウス派キリスト教徒であったマリアが、本国の政争を避けるためにコンスタンティノープルに旅立つ場面から、本書は始まります。 

 

マリアは、旅の途上のエルサレムで十字軍勢力を駆逐したばかりのサラディンと出会い、中東から欧州にかけての政治状況を聞かされるのですが、まさか草原の一部族にすぎないモンゴルが、後にこの地を征服することになるとは誰も想像できなかったはず。ともあれ当時の中央アジアでは、大小の国家が林立していたものの、隊商を中心とする東西交流が頻繁に行われていたことが伺い知れます。マリアは後にモンゴルに戻り、友人となったチンギスに西方事情を語ることになるのですが、それはまだ先のこと。 

 

さてチンギスです。父親イェスゲイがタタールによって討たれたことで、彼が率いていたモンゴルの有力氏族であったキャトは瓦解。その後の苦難を乗り越えてキャト氏族を再統合したチンギスは、宿敵のタイチウト氏族や、盟友であったジャムカが率いるジャダラン氏族を破ってモンゴルを統一。さらには近隣のメルキト、ナイマン、ケレイト、オイラートタタールを破って高原中央部の覇権を確立。その過程で後に「四狗」と呼ばれるジェルメ、ジェベ、クビライ、スブタイ、「四駿」と呼ばれるボオルチュ、チラウン、ボロクル、ムカリと共にと呼ばれる重臣たちを率いることになっていきます。 

 

勢いに乗ったモンゴルは、その後の20年間で東方の金、南方の西夏、西方の西遼やフワーリズムという大国まで征服するに至るのですが、なぜ草原の一部族にすぎなかったモンゴルが世界地図を塗り替えるほどの大帝国を築くことができたのでしょう。著者は、モンゴル特有の軍政一致構造や、被征服者の登用や協力を得る体制についても触れていますが、それだけで説明がつくものではありません。4世紀のゲルマン民族大移動や、7~8世紀のイスラム帝国の膨張期などと同様に、興隆期の巨大なエネルギーが周辺地域の弱体期と相まった結果なのでしょう。 

 

2020/4再読