りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

移民たち(W.G.ゼーバルト)

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色褪せた白黒写真と、覚束ない記憶を綴る文章の不思議なコラボレーション。記憶の海からランダムに浮かび上がってくる断片の寄せ集めのようなのに、全体を俯瞰するとひとつの形がおぼろげに現れてくるのです。

20世紀の前半に故郷を出てそれぞれ長年異郷で暮らした4つの人生が、たまたま故人とすれ違っただけの縁遠い者によって語られます。リトアニアからアメリカに渡るはずが、手違いでイギリスに着いてしまい、そのままイギリス人として生きてきたセルウィン医師の人生を語るのは、医師の未亡人が所有する邸宅を借りた男性。ユダヤ人の血が入っていたためにドイツで教職につくことを禁じられ、国外脱出せざるを得なかった教師パウル・ベライターの抱えていた心の闇を探るのは、小学校時代に彼を担任に持った、元教え子。彼のドイツ脱出の影には、悲しいもうひとつの物語があったのです。

アメリカの富豪に仕えた最上級の執事であった大叔父アンブローズの人生をたどるのは、彼が一度だけ里帰りした際に会っただけの甥。老年を迎えてから、かつて親しかった富豪の息子と同じ最期を選んだアンブローズは、全ての記憶を消し去ろうとしていたのです。一時的に住んだマンチェスターで知り合った画家アウラッハの作品を30年後にギャラリーで見つけて、彼に再会を求めたときに語られた彼の人生と、彼の母親の手記。母親は、ついにドイツを脱出することができませんでした・・。

この4人のうち3人までもが、最後には自死を選んでいます。しかもユダヤ人虐殺という悲劇的な歴史が背景にあるのに、彼らの人生から「豊穣」という言葉を思い浮かべてしまうのは、誤読なのでしょうか。癒せない傷を心に負いながらも、楽しかった幼い日の記憶だって、愛した家族や恋人の思い出だって、決して消えたわけではありません。4つの作品に共通して登場する、スイスのレマン湖や「蝶を追う男」のイメージも、決して暗いものではないと思えるのです。

哲学者の言葉を借りて「語れないことについては沈黙するしかない」と作中人物に語らせた著者ですが、苦しそうではあるけれど、静かに語っていること自体が、すでに何かを告げているようです。

2007/10