りぼんの読書ノート

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ワイオミングの惨劇(トレヴェニアン)

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アイガー・サンクションシブミといったスパイアクションで一世を風靡したトレヴァニアンが、(おそらく)老齢をおして書き上げた「西部劇」です。

でもこれは「西部劇」なのでしょうか。確かに構成はまさしく「西部劇」なのです。西部の街に突然現れる「流れ者の悪党」。その直前に街に流れ着いて街一番の美女の「お嬢さん」に世話になった「キッド」。肺病やみの元詐欺師に、ひとくせありそうな街の住民たち・・。

でもこの本は、決定的な点で「西部劇」とは異なっているのです。それは、悪党一味とキッドらが対決した後に(この「対決」もアンチクライマックスなのですが)延々と続く、街と登場人物たちの「史実的なその後」があること。考えてみれば、登場人物たちに「その後」があるのは当たり前。牧場を去ってからもシェーンの人生は続くし、駅馬車が無事に目的地についてから人々の生活は再開されるのですから。

でも、ヒーローと悪役の決着がついたところで、まるでスポーツの試合であるかのように、エンディングとなるのが、典型的な西部劇ですよね。だから、「その後」を読まされる読者は、まるで甲子園で人生の頂点を極めてしまった元高校野球選手が、中年のオヤジとなって後に、罪を犯して逮捕された記事を読まされるような感覚に陥るのです。

かといって、西部劇のパロディを狙った小説ではなさそうですし、わざわざ「一種の隔絶空間」を創造して見せながら、それを自分で壊してしまう作者の縦横無尽の文才を、楽しまざるを得ないという気持ちにさせられてしまいます。

2007/8 Soragaにて