りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

充たされざる者(カズオ・イシグロ)

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イシグロさんの第4長編。これで彼の作品を全部読んだことになります。しかし作者自身が「実験小説」と読んでいる本書は、長すぎです!

世界的に著名なピアニストという主人公のライダーが、中欧ヨーロッパのどこかであろう小都市で開かれる「木曜の夕べ」という演奏会に招待されてすごした数日間の物語。この町はどうやら「精神的な危機」に襲われているらしく、ライダーは町にとっての「救世主」的な役割を負わされてしまいます。

誰もが彼に対して何らかの頼みごとをしてくるのですが、ライダー自身、非常にあやふやな感じなんですね。町の抱える問題も最後まで理解できないし、「過密」なスケジュールだって全然はっきりしていない。この町に来たのは初めてというのに、老ポーターに頼まれて会いに行ったポーターの娘ゾフィーと孫ボリスは、いつの間にか、ライダーの妻と息子になってしまうのをはじめとして、あらゆる所に既視感を感じてしまう。

この町には3人のピアニストがいます。才能に恵まれていず、両親の期待を裏切ったと苦しむ、若いシュテファン。この町をだめにした元凶であると皆に嫌われている、中年のクリストフ。過去の名声と女性への思いに生きながら再生を望む、老いたブロツキー。どうやら、ひねくれてかたくなな息子であるボリスを含めた、この4人がライダーの分身のようであり、それぞれが心に傷を負っているようです。皆、自分を正当化しようと、饒舌にしかし空虚に語りまくります。

ライダー自身、救世主と言われてあちこちを引っ張りまわされていながら、実は何もわかっていないし、何ひとつとして達成することができない。このあたり、カフカの『城』を思わせます。「誰もが、自分は何者であるか自分に問いかけながら生きている」とでもいうのが、作者のメッセージなのでしょうか。

・・・と、ここまで書いて、恐ろしい可能性に気づいてしまいました。それは、この物語の全てが、ライダーの病んだ精神の産物である可能性。そう思うと「どこへでも連れて行ってくれる」循環の市電だって、ちょっと怖いものに思えてきてしまいます・・。

2007/7