りぼんの読書ノート

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ある島の可能性(ミシェル・ウエルベック)

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精神的にダウナー系の本でした。そもそも、翻訳者が解説で「途中で怒りを感じても、この本は個人的な洞察にすぎないので物語に戻って欲しい」なんて書く本がありますか?

2000年後の未来。荒廃した地球で、古典的な人類は「野人」と化して原始的生活を営み、一握りのネオ・ヒューマンが、クローン技術によって世代を超越して行き続ける世界。物語の大半が、21世紀に自らネオ・ヒューマンの誕生に立ち会ったダニエル1の自叙伝に割かれます。それは、コメディアンとして成功を修めながら、彼が深く関わった2人の女性との愛情生活にも性生活にも破綻して年老い(むしろ年老いたから破綻したというべきでしょうか)、人生の再生を深く希求する、惨めな男の物語。

そのような欲求は、彼一人に起きたことではなく、いわば時代の趨勢として世界中に広まり、ネオ・ヒューマンが誕生する背景となりました。では、ネオ・ヒューマンとはどんな存在なのでしょう。先代が死を迎えると、いきなり18歳の青年としてこの世に現れ、生涯を快適な居室の中ですごす。世界各地に数千人だけいるネオ・ヒューマン同士は互いに出会うこともなく、ネットを通じてコミュニケーションをはかるだけの存在。う~ん、いかにも中途半端。

彼らの人生は、それぞれの初代先祖が書き遺した自叙伝を読み、注釈をつけることだけに費やされることになります。進歩も後退もないまま、永遠に続く静謐の中で停滞している世界・・。彼らの名前が、停滞性を端的に現わしています。ダニエル1の子孫は、ダニエル24やダニエル25でしかなく、彼が連絡を取り合う相手は、マリー21であり、エステル32。登場人物が、全て聖書に登場する名前というのも象徴的。

でもこのシステムは、静かに破綻を迎えようとしているようです。著者は、「人は精神的にも肉体的にも深く結ばれることを望む存在であり続ける」とでも言いたいのでしょうか。死のない世界では、生も愛もなく、「ある島の可能性」とは、人が再び死すべき存在に回帰する可能性にほかならないのですから・・。

2007/6