
中年の主婦が自宅の雨漏りの修理を頼んだ屋根職人・永瀬は、夢を見る達人でした。彼は妻を喪って病んだ心の治療のために夢日記を付け始めたことがきっかけとなって、今では夢を自在に操れるというのです。永瀬が話す寺院の屋根の広大さに心惹かれた「私」は、彼と夢の中で落ち合って旅を重ねるようになっていきます。
奈良・京都の名刹寺院の屋根や、フランスの大聖堂の屋根で逢瀬を重ねる中で、2人がともにすごす時間は深まっていきます。もちろん儚い夢の中でのデートは、プラトニック以前の非現実の物語。しかし夢を見ることは心の深淵を覗き込むことなのかもしれません。夢の中で猛虎となって登場する「私」の夫や、火の玉となって現れる永瀬の亡き妻の姿は、2人のやましい気持ちが反映されたもの。2人の危うい関係は、現実世界を動かしてしまうのでしょうか。それとも夢のように消え去ってしまうのでしょうか。
作中に、古寺の古瓦に残された落書きの話が登場します。600年前の若き屋根屋の心意気や、400年前の僧侶の恋心が今に伝えられているんですね。余談かと思って読み進めていたら、やがて現れる別の落書きが、この不思議な物語を終結に導きます。見事な伏線回収でした。ところで鉄鋼業関係のエンジニアという「私」の夫は、後の『美土里倶楽部』で亡くなっていた亡き夫と同一人物なのでしょうか。本書の「私」は後の「美土里」なのかもしれません。
2026/8




