りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

屋根屋(村田喜代子)

中年の主婦が自宅の雨漏りの修理を頼んだ屋根職人・永瀬は、夢を見る達人でした。彼は妻を喪って病んだ心の治療のために夢日記を付け始めたことがきっかけとなって、今では夢を自在に操れるというのです。永瀬が話す寺院の屋根の広大さに心惹かれた「私」は、彼と夢の中で落ち合って旅を重ねるようになっていきます。

 

奈良・京都の名刹寺院の屋根や、フランスの大聖堂の屋根で逢瀬を重ねる中で、2人がともにすごす時間は深まっていきます。もちろん儚い夢の中でのデートは、プラトニック以前の非現実の物語。しかし夢を見ることは心の深淵を覗き込むことなのかもしれません。夢の中で猛虎となって登場する「私」の夫や、火の玉となって現れる永瀬の亡き妻の姿は、2人のやましい気持ちが反映されたもの。2人の危うい関係は、現実世界を動かしてしまうのでしょうか。それとも夢のように消え去ってしまうのでしょうか。

 

作中に、古寺の古瓦に残された落書きの話が登場します。600年前の若き屋根屋の心意気や、400年前の僧侶の恋心が今に伝えられているんですね。余談かと思って読み進めていたら、やがて現れる別の落書きが、この不思議な物語を終結に導きます。見事な伏線回収でした。ところで鉄鋼業関係のエンジニアという「私」の夫は、後の『美土里倶楽部』で亡くなっていた亡き夫と同一人物なのでしょうか。本書の「私」は後の「美土里」なのかもしれません。

 

2026/8

大友落月記(赤神諒)

順不同で読み進めていますが、本書はデビュー作『大友二階崩れ』の直接の続編にあたる2作目にあたります。前作の主人公であった大友家の重臣・吉弘鑑理の長男の嘉兵衛が主人公。若くして大友家の宗主となった宗麟に近習として仕えています。後に切支丹大名として知られる宗麟の時代に、大友家は北九州の覇者として領土拡大を果たすものの、好色で残忍な一面も併せ持ち、やがて南九州の島津家と西九州の龍造寺家に敗れて、短期間で衰退していくことになります。本書で描かれるのは、衰退の端緒とされる「小原鑑元の乱」です。

 

鎌倉時代に豊後守護職となった大友家では、関東から移り住んだ大友家一門である「同紋衆」と、土着の大友家臣である「他紋衆」の間の抗争が絶えなかったようです。新たに平定した肥後の方分(分国大名)となった小原鑑元は他紋衆の雄であったものの、大友宗家への忠心は篤く、肥後に善政を敷いていました。しかしそんな鑑元に対する同紋衆の陰謀が着々と進行していたのです。やがて陥れられた鑑元は決起を余儀なくされるのですが・・。

 

鑑元に尊敬の念を抱きながら内戦を防げなかった嘉兵衛と鑑元の娘・杏の悲恋。妹婿である鑑元と戦場で対峙することになる、大友家の戦神・戸次鑑連の複雑な思い。自家を守るために苦渋の選択を迫られる肥後の武将たちや、自分勝手な宗麟に翻弄される近習たち。もちろん個々の動向は著者の創作です。しかし2万もの大軍が集結しながら、両軍合わせてわずか300名ほどの戦死者を出しただけで終結した内乱の背景には、かなりの裏事情があったのでしょう。信長・秀吉・家康と直接関わらなかったために、あまり世に知られていなかった大友家の物語を深掘りしていく著者の目の付け所はさすがです。

 

2026/8

バウムガートナー(ポール・オースター)

2024年に77歳で亡くなった巨匠の絶筆は、著者自身を彷彿とさせる老いた男の日常生活でした。8年前に事故死した愛妻アンナの不在を今も受け入れられないまま、書斎で彼女が遺したタイプ原稿を読みながら、過去の出来事に思いを馳せる日々。しかし彼の脳裏に浮かんでは消えるアメリカの姿は、決して偉大でもマッチョでもありません。さまざまな人々が懸命に生きて来た結果として形作られた国なのです。

 

そんなバウムガートナーに2つの恩寵がもたらされます。ひとつめはアンナの年若い友人であった16歳も年下の女性ジュディスに恋してしまったこと。どうやら彼女も彼に好意を抱いているようで、ついに意を決して思いを伝えるのですが・・。もうひとつの恩寵は、たった1冊だけ出版されていたアンナの詩集の熱烈なファンが現れ、彼女の未発表原稿や手紙を研究したいと言ってきたこと。こちらはかなり若い女性です。彼は彼女に対して最大限の支援を申し出るのですが・・。

 

衝撃的なラストシーンについての解釈は分かれるところでしょう。彼はそこで自分の死を意識したのかもしれません。しかし仮にそうであったとしても、彼の生きようとする意志がくじけることはないはずです。肺がんに冒されていることが判明しながら、愛・記憶・老い・喪失など多くのテーマを内包している「寓話」である本書を書きあげた、著者自身のように。

 

2026/8

2026/7 Best 3

1.夜明けのハントレス(河崎秋子)

元羊飼いであった著者が描く女性ハンター誕生の物語。全てに恵まれた女子大生・万智が、狩猟の世界に飛び込んでいったのは、「男とか女とか、善とか悪とか、強さとか弱さとか、貧富とか容姿とか、全部関係ないところに行きたい」という強い感情です。「命を撃つ。その意味を、私はつかみたい」という切実な望みが行き着いた先には何があったのでしょう。熊被害が相次ぐ中で、日本のハンターを取り巻く困難な状況も描かれています。

 

2.異邦人(クラウディア・ドゥラスタンティ)

1984年にブルックリンのイタリア人コミュニティで生まれ、6歳の時にともに聾者の両親が離婚したことで母の故郷であるイタリア南部の小村バジリカータに移住。20代で作家となってロンドンで暮らしている著者による本書は、「家族や故郷から少しずつ離れていく感覚」に満ちています。複雑なバックグラウンドを持つ著者は、「異邦人感覚」がもたらす「ゆらぎ」をそのまま肯定しているようです、

 

3.美土里倶楽部(村田喜代子)

3年前に夫を亡くした著者による「未亡人小説」には、夫の死を悼みつつも、日々を生き抜く強さと智恵が込められています。夫を病で亡くしたばかりの70代の美土里が、やはり夫と死別した2人の女性と知り合い、「未亡人クラブ」として緩やかに交流を始めていきます。「美土里」は「看取り」に通じるのでしょうが、彼女たちの感情は喪失の哀しみばかりではありません。

 

【再読した傑作】

・ミラノ 霧の風景(須賀敦子)

・コルシア書店の仲間たち(須賀敦子)

・ヴェネツィアの宿(須賀敦子)

・トリエステの坂道(須賀敦子)

・ユルスナールの靴(須賀敦子)

 

【その他今月読んだ本】

・イクサガミ 人(今村翔吾)

・帰ってきたエンジェルス(越智月子)

・立花三将伝(赤神諒)

・アフガンの息子たち(エーリン・ペーション)

・ライプニッツの輝ける7日間(ミヒャエル・ケンペ)

・地雷グリコ(青崎有吾)

・情熱(桜木紫乃)

 

2026/7/30

夜明けのハントレス(河崎秋子)

タイトルの「ハントレス」とはハンターの女性形、本書は、狩猟の世界に足を踏み入れた若い女性の物語です。理解ある両親のもとで裕福な家庭に育ち、学業にもスポーツにも顔立ちやスタイルにも恵まれた、21歳の女子大生・岸谷万智は、恋人も親友も失うことになりながら、なぜ狩猟の世界に飛び込んでいったのでしょう。苦悩や葛藤を乗り越えて、やがて羆との真剣勝負に至る彼女の軌跡が、丁寧に描かれていきます。

 

万智の心を焼き尽くすのは、「男とか女とか、善とか悪とか、強さとか弱さとか、貧富とか容姿とか、全部関係ないところに行きたい」との強い感情です。それはやがて「命を撃つ。その意味を、私はつかみたい」という切実な言葉になって現わされます。

 

もちろん良いハンターになるためには必要な過程があり、適切な指導者について学ぶ必要があるのです。その意味で万智は恵まれていたわけですが、北海道のハンターたちを取り巻く厳しい現実は、常に制約となって現れます。自然破壊、過疎、獣害、無理解な観光客やSNS、そして何より経済的な事情・・。万智も就職して休日ハンターとならざるを得ません。それでも自然と対峙していく中で「悩める初心者」は、欲しかった「野生の強さ」を手に入れることができました。

 

超人的な主人公が怪物的な野獣と対峙する物語も面白いのですが、等身大の女性の成長物語は共感情を呼び起こします。本書は、生きる手応えを失った現代人が、命の重さに触れることで自己実現を試みる物語としても読めるのですから。

 

2026/7

異邦人(クラウディア・ドゥラスタンティ)

1984年にブルックリンのイタリア人コミュニティで生まれ、6歳の時に両親が離婚したことで母の故郷であるイタリア南部の小村バジリカータに移住。20代で作家となってロンドンで暮らしている著者による本書は、「家族や故郷から少しずつ離れていく感覚」に満ちています。

 

多感な少女に「異邦人感覚」を刷り込んだものは、聾者でありながらともにユニークな性格で娘に人並みの愛情を注がなかった両親、アメリカから南イタリアへの逆移民、貧困や言語のズレ。このようなバックグラウンドは、著者を、正確であることを拒み、間違いに惹かれ、「自分が外側にいる」感覚に惹かれる女性へと育て上げたのです。だから本書は、引き裂かれたアイデンティティを模索して、自らの出自や過去と和解するような、ありきたりの物語ではありません。むしろ「異邦人感覚」がもたらす「ゆらぎ」を、そのまま肯定していくのです。

 

出会いについて食い違う両親の証言に始まり、両親を隔てる空間の埋め方で終わる本書は、自伝でもエッセイもでありません。ただひたすらに過去の記憶を呼び戻しながら、解釈し直していく作業の積み重ねのようです。

各章の冒頭に置かれたエピグラフは、、エミリー・ディキンソン、ル=グウィン、ロリー・ムーア、ヴァージニア・ウルフ、アントネッタ・アネッラ、ジーン・リースの言葉です。彼ら、彼女らもまた、自己の内部に「異邦人」を養っていた人たちなのでしょう。

 

2026/7

 

情熱(桜木紫乃)

既にさまざまなことを経験してきた人間たちの「老後」を描いた短編集です。しかし彼らの老後は憂愁や諦念に満ちたものではありません。プライドや自尊心を持て余しながらも、まだ迎えるであろう「明日」のために、ひそやかに命を燃やし続ける男も女も、捨てたものではないのです。

 

「兎に角」

40年ぶりに再会を果たした同級生のカメラマンとスタイリストは、あらためて当時の思いを告白し合うのですが、仕事でのコンビという立ち位置を崩すわけではありません。話の中で重要な役割を果たす、角を持った兎「ジャッカロープ」は未確認生物のようです。

 

「スターダスト」

若い世代から厄介者として追いやられつつあるサックス奏者は、退き際を自覚しています。しかしラストの一本は「惜しい」と思わせたいという程度のプライドは残っているのです。本当はコルトレーンにも負けてないと、今でも思っているのですが。

 

「ひも」

70代の老人ホストは、「ボケたら関係解消」を条件に同居を受け入れてくれる歳の離れた美容師に密かな思いを抱いています。それはもちろん色恋ではないのですが・・。

 

「グレーでいいじゃない」

語り手は、ジャズハウスで老いたジャズピアニストとコンビを組んでいた、まだ若い女性のサックス奏者。彼女はピアニストの死後に、彼の40年来の友人たちから、彼の生い立ちを聞かされます。皆それぞれに過去を持っているのですが、突き詰めないことも必要なのです。

 

「らっきょうとクロッカス」

裁判所の事務職でトップを走りづづけてきた50代の女性は、札幌から釧路への都落ちを言い渡されます。しかし彼女はそこで、百点街道を逸れずに走っていたら気付かなかったであろうことに、気付くのでした。

 

「情熱」

還暦を迎えた遅咲きの小説家が、同年代の女性大学教授と一緒に、彼女の故郷である門司まで講演旅行に出かけます。波乱に満ちていた彼女の過去を小説化したいと思ったものの、これ以上立ち入ってはいけない気がして、踏みとどまります。その代わりに書き上げたのは、「情熱」とタイトルをつけた自伝的な作品でした。

 

2026/7