りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

塵に訊け!(ジョン・ファンテ)

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イタリア移民2世として1909年にコロラドで生まれた著者の、自伝的長編の第2作です。第1作の『バンディーニ家よ、春を待て』では、カトリック系イタリア人であることの差別や、家庭を顧みないDV父親の存在に苦しんでいた少年アルトゥーロは、20歳になってロサンゼルスに出てきていました。作家として身を立てようと志したアルトゥーロの頼みの綱は、編集者が採用してくれた1本の短編のみ。当座の金も先の見通しもないまま転がり込んだ安ホテルで、彼はさまざまな人々と出会います。

 

未亡人の大家、金欠で犯罪すれすれのことをしている退役軍人、なすこともない老人たち、売春婦、ラティーノの女の子たち、日本人の八百屋。彼の周囲に集まる人々は、社会の片隅に寄り集まって生きている貧乏白人やマイノリティーの人たちばかり。そしてアルトゥーロは、カフェのウェイトレスをしているラティーノのカミラに恋をします。しかし女性経験もなく相談相手もいない20歳の青年の恋は、あまりにも不器用です。カミラを崇拝する詩を送った翌日には差別的な暴言を吐いたり、金もないのに見栄を張ったりする様子は痛々しいほど。しかもカミラは別の男性に恋していて、その男性からは殴られたり追い出されたりしているのです。さらにカミラは、阿片中毒になっていることすら判明する始末。

 

報われない恋とやり場のない怒りは、彼の執筆を助けたのでしょうか。ついに作品が売れ、まとまった金を手に入れ、車も買い、女性経験も済ませたアルトゥーロですが、彼は求めていたものの空虚さに気付いてしまいます。ロングアイランドで遭遇した大地震で「塵」となった廃墟を眺めて、自分への天罰だと思い込んだことも、大きなきっかけでした。著者が実際に遭遇した地震のことは他の短編でも触れられており、著者の世界観に大きな影響を与えたようです。

 

1939年に出版された本書は出版社の倒産などの不幸もあってほとんど売れず、失意の著者は映画界へと向かいました。本書の直接の続編が書かれなかったことは残念ですが、戦後に書かれた長編もあるとのこと。もっと作品を読んでみたくなる作家です。

 

2021/6

 

 

たまもかる(篠綾子)

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万葉集歌解き譚シリーズ」の第2弾です。前作『からころも』に登場した、日本橋の薬種問屋・伊勢屋に奉公する12歳の助松、賀茂真淵先生から和歌を学んでいる17歳の伊勢屋の娘・しず子、謎の陰陽師・葛木多陽人の3人が新たな謎に挑戦。助松の父親・大五郎の正体と、助松の意外な出自は明らかになっていますが、2人はこれまで通り伊勢屋の手代と小僧で居続ける道を選んだようです。しかし製薬知識を持っている大五郎が、そのことを伊勢屋の主人に隠し続けているのは何故なのでしょう。

 

今回の事件の発端は、しず子の歌の師匠である賀茂真淵の家に泥棒が入ったことでした。将軍家重の弟である田安宗武にご進講した際に誤って持ち帰ってしまった、自分のものではない万葉集が盗まれてしまったのです。そこには、仮名だけで書かれた万葉和歌12首と、干支や漢数字が記された不可解な符帳が書き込まれていたとのこと。頼りになる葛木多陽人はそこから、幕府を揺るがす大きな陰謀を読み取ります。そして多陽人の許に、まだ若い田沼意次が訪れてきたのですが、それは陰謀と関わりがあるのでしょうか。

 

前巻同様に、万葉和歌の意味を理解することで助松が成長していく過程は魅力的ですが、万葉和歌と事件との関係性が薄いところが気になります。ミステリというより、万葉集の魅力を伝える作品として読んだ方がいいように思えます。

 

2021/6

からころも(篠綾子)

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紫式部の娘。賢子』シリーズでブレークした著者による、「万葉集歌解き譚シリーズ」の第1弾。日本の古代に造詣の深い著者の作品ですが、本書の舞台は江戸時代。日本橋の薬種問屋・伊勢屋に奉公する12歳の助松が、賀茂真淵先生から和歌を学んでいる17歳の伊勢屋の娘・しず子や謎の陰陽師・葛木多陽人と組んで、万葉和歌に秘められた謎を解いていく物語。しかも解かなくてはならない謎は、行方不明になった助松の父親・大五郎の過去に関係しているのですから、必死にならざるをえません。

 

伊勢屋の手代であった大五郎は、1年半前に伊勢屋の仕事で越中富山に出かけたまま消息を絶ってしまいました。残されたヒントは、父から誰にも見せぬように言われて預かった日記のみ。そこに書き込まれた万葉集の和歌の意味をしず子に尋ねたことから、2人は過去に富山で起こった事件に関わることになってしまいました。しかも、ある偶然から知り合った大友主税と名乗る青年武士とともに、今度はしず子が行方をくらましてしまうのです。2人の失踪には関係があるのでしょうか。困り果てた助松は、伊勢屋の客で万葉集に造詣の深い葛木多陽人に相談するのですが・・。

 

万葉集のスターである大伴家持は、越中守として現在の富山に赴任していた時期があり、富山で詠んだ歌も多いとのこと。下って江戸時代の富山藩の一大産業は薬であり、全国を股にかける薬売りは有名ですが、製薬方法は藩外不出とされていました。実は大五郎は富山出身であり、薬に関する過去の事件の真相を、馴染んでいた万葉和歌に託していたのです。

 

ラストで明らかにされる大五郎の正体と助松の出自には驚かされるものの、ミステリとしてはどうなのでしょう。万葉和歌の魅力は伝わるものの、かなり薄い関係を強引に結び付けたような印象をぬぐいきれません。やはり著者には、ストレートに日本古代を舞台とする作品を書いて欲しいものです。もっとも今の日本では、時代小説というと江戸時代ものしか売れないようなので仕方ないのかもしれませんが。

 

2021/6

ラー(高野史緒)

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ピラミッドの謎に魅せられて、その建設現場を見るためにタイムマシンを開発し、紀元前2600年へのタイムトラベルに成功した現代人ジェディは、驚くべき光景を目にします。当時はまさにクフ王の時代でありピラミッド建造が始まったばかりのはずだったのですが、工事監督官のメトフェルは半ば砂に埋もれたピラミッドを発掘していたのです。そして面会叶ったクフ王は、何かを恐れているようなのです。

 

エジプト最大のピラミッドはクフ王墓所として伝わっていますが、その根拠ははるか後世のヘロドトスの歴史書に書かれた文章のみ。それを証明するミイラや副葬品はもちろんのこと、碑や文書も存在していません。ピラミッドに関する仮説はなにひとつ証明されていないといっても過言ではないようです。想像力を働かせる余地がたくさん残っているのですね。

 

エジプト文明に関心を持ち続けてきたという著者も、そこに目を付けたわけです。ギザの三大ピラミッドの建造年代はクフ王の時代から遥かに遡った超古代であること。それを伝承する「ホルスに従う者たち」の間ですら真相は既に失われていること。天動説や惑星軌道計算の技術などがわずかに遺っているものの、やがて失われる運命にあること。いわゆる超能力も装用の運命にあること。ギザの三大ピラミッドのみが超絶技法で建造されており、他のピラミッドは劣化した模倣にすぎないこと。クフ王は単なる僭称者にすぎないが、この時代に星辰信仰が太陽神信仰へと切り替わろうとしていることなどを、ジェディは「発見」するのです。

 

この議論を推し進めると、宇宙人説とか超古代文明説などの「とんでも論」に行き着いてしまいそうですが、さすがに著者はその前で筆を止めています。不思議を不思議のまま放置しておくことには物足りなさも感じるのですが、賢明な判断だったと思います。著者の古代エジプトヒエログリフに関する知識の深さには感心しました。

2021/6

愉楽(閻連科)エン・レンカ

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国が指導した売血政策によってエイズが蔓延してしまった貧村の悲劇を描いた『丁庄の夢』と同様に、中国の国家当局への批判精神に溢れた作品です。本書は発禁処分にこそならなかったものの、「反国家」「反体制」「反革命」など、あらゆる「反」で始まる言葉で酷評を受けたとのこと。

 

本書の舞台は、誰からも忘れ去られていた山奥の寒村・受活村です。明建国の英雄を世話した不具の老婆が開いたとの伝説が残る村の住民は、今でもほとんどが身障者ばかり。長征に参加した際に凍傷と骨折で不具となった元紅軍兵士の芽枝が村に住み着いたことをきっかけとして、今では地方の行政組織に組み入れられています。しかし村の長老となった芽枝婆は悔やんでいるのです。大躍進や文化大革命という中央の政策が村に悲劇をもたらしただけでなく、障碍者を差別する県の健常者たちからも手ひどく扱われてきたのですから。今では彼女の願いは、行政組織から「退社」することだけ。

 

そんな時、新たに県長となった男が、新生ロシアが旧ソ連の遺物を持て余しているという新聞記事を読んで、突拍子もないアイディアを思いつきます。レーニンの遺体を買い取って村の観光資源としようというのです。その資金を集めるために、超絶技能を持つ受活村の身障者たちを集めて絶技団を編成。村への見返りはもちろん「退社」の約束です。かくして断脚跳飛の片足少年、耳上爆発のつんぼ、独眼穿針の片目、葉上刺繍の下半身不随女、総耳聴音の盲目少女、装脚瓶靴の小児麻痺などのメンバーが集められました。ショーの司会役は絶世の美女ながら小人に生まれた芽枝婆の孫娘の三つ子たち。絶技団の公演は中国各地で大人気となり、レーニン遺体の購入資金を集めることができたと思われたのですが・・。

 

社会主義的リアリズムを文学抹殺の元凶として否定する著者は、南米起源の魔術的リアリズムの影響を受けたことを否定していません。独特の物語世界が繰り広げられますが、中国において社会主義がもたらした人災の規模や、健常者の身障者への差別意識や、改革開放によって爆発的に広まった拝金主義については誇張でもなんでもないのかもしれません。受活村の人々ですら、孤絶していた頃の幸福な暮らしも、行政組織に「入社」した後の災難も忘れて、ひたすら金銭に執着するようになっていることに、著者の深い悲しみを感じるのです。

 

2021/6

高瀬庄左衛門御留書(砂原浩太朗)

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50歳近くになって作家デビューした著者による第2長編ですが、既に藤沢周平葉室麟の作品のような風格を有しています。本書の舞台となっている架空の神山藩も、海坂藩や羽根藩のような存在になっていくのかもしれません。

 

主人公は、10万石の神山藩で郡方を努める50歳の高瀬庄左衛門。2年前に妻を亡くし、今また後継ぎの息子を事故で失って、ただ務めを全うしながら老いていく日々を過ごしています。そんな庄左衛門の唯一の気晴らしは手慰みの絵画であり、実家へと戻した息子の嫁の志穂に絵を教えることにささやかな楽しみを見出しています。しかしそんな彼のもとへも藩の政争が押し寄せてきます。異例の出世で筆頭家老に上り詰めた宇津木頼母を追い落とす陰謀が、貧しい山村からの強訴という形で現れようとしていたのです。郡方としての責任が問われることはもちろんのこと、その陰謀には若い時代に道場で腕を競ったかつての朋友も関わっていたのです。

 

温厚で実直な庄左衛門が、自分の小さな世界を踏みにじる者に怒りを感じて剣を抜く場面がクライマックスですが、それはほんの一瞬のこと。物語を支配するトーンは終始、老いることの寂しさであり、これまでの人生への後悔であり、それでもなお後に続く若者たちに何かしてあげたいという思いです。それが老後の歓びとなるのか、それとも再び辛さを味わうことになるのか、そんな個人的な感情への打算など既に消え去っているのです。

 

「時代劇は大人のファンタジーである」とは誰の言葉だったでしょうか。理想的な武士の生き方を全うした人物など当時も稀有だったに違いないのですが、誰もが個人的な欲望をむき出しにしている現代社会に生きる我々だからこそ、己を律して禁欲的に生きる人物像に共感を抱くのでしょう。

 

2021/6

ポリー氏の人生(H・G・ウェルズ)

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19世紀末から20世紀はじめにかけて『タイムマシン』や『宇宙戦争』などの空想科学小説を著して「SFの父」と呼ばれる著者が、自伝的要素を織り込んでコミカルなタッチで描いた作品です。しかし本書は、フェビアン協会に参加して人権擁護活動を行っていた著者らしく、当時の社会に対する抗議の書でもあるのです。

 

主人公のアルフレッド・ポリーは、貧しい商店主の家に生まれて服地商の徒弟となります。繊細な魂とロマンチックな創造力を持ちシェイクスピアラブレーなどの古典を愛するようになりますが、満足な学校教育を受けていないため語彙はめちゃくちゃだし、書物のテーマの理解も混乱しています。ここまでは著者の少年時代と大差ないようですが、この後のポリー氏の人生は、奨学金を獲得して科学師範学校に入学した著者とは大きく離れていくのです。

 

ポリー氏は父が死んで残したささやかな遺産をもとに紳士服店を開き、高嶺の花の少女にふられた反動で従妹のミリアムと結婚。しかし商売も結婚もうまくいかず、深い教養も高潔な人格を身に着けることもないまま15年がすぎてしまうのでした。そして35歳になったポリー氏は、倒産寸前の商店と不満たらたらの妻を抱えた人生に絶望し、ある決心をするのでした。自宅に火を放って剃刀自殺をして、生命保険と火災保険を妻に残して不毛な人生に幕を下ろそうと。ここからポリー氏の起死回生の冒険が始まるのですが、そこまで書いてしまってはネタバレですね。

 

イギリスを代表する国際的な作家となった著者ですが、下層階級のなまりを克服することはできず、上流階級出身者から軽蔑されることも多かったとのこと。階級社会であるイギリスで階級の壁を超えることの難しさが、本書には反映されているのです。コミカルな前半と冒険活劇のような中盤を経て、思いもかけない静謐なエンディングを迎える本書は、著者の最愛の作品だそうです。

 

2021/6