りぼんの読書ノート

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本格小説(水村美苗)

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この時代にあえて「本格小説」なんて挑戦的なタイトルをつけて、『嵐が丘』をモチーフにした大河小説を書いた著者の真意はどこにあるのでしょう。本書の読者は、作者が投げかけた「純文学こそが最高のエンターテインメントだ」という主張の検証を求められているのかしれませんね。作者の試みは、成功しているのでしょうか?

ストーリーはおもしろいのです。特に下巻は一気です。戦後すぐの日本。両親を失った貧しい少年が、お屋敷のお嬢さんに恋をする。もちろん、そんな恋が叶うわけもない。失意の少年は貨物船で渡米し、アメリカン・ドリームを掴む。お嬢さんは、隣家の貴公子と結婚するが、両家とも没落。帰国したヒースクリフ(いや、東太郎でした)がとった行動とは・・。

エミリー・ブロンテのみならずチェーホフ的な要素も入っていますが、しっかり日本の小説になっています。細部の仕掛けまで丁寧に作りこまれていますしね。寡作な著者ですが、やっぱり上手なのです。

そもそも、なぜ『嵐が丘』なのでしょうか。「本格小説」が始まる前の170ページに及ぶ「前置き」や、ことさらにリアリティを強調する何枚もの軽井沢の写真の意味は何なのでしょうか。

作者は「前置き」で言っています。日本の小説で「私」というと、私小説の書き手である「作者個人」にすぎず、小説の中で全体を俯瞰し、全能の存在たる書き手を意味しないと。「前置き」で作者の履歴の中に本書の主人公を忍び込ませ、本書を書くに至った必然性を説明し、三重の「入れ子構造」で語るのは、前作の『私小説』から本書『本格小説』への橋渡しをスムーズに行うためですね。

そこまでしてなお、むしろそこまでするから、物語はリアリティを失っていき、小説性が高まっていくようです。もちろん、作者は全部わかってやっています。この手順は全て、「私」を『私小説』から解放するために必要なものだったのかもしれません。

こんなことを考えずに、素直にストーリーを楽しんで、あえて作者の術中にはまってみるのが、一番の読み方なんでしょうけどね。

2005/6