りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

至福の烙印(クラウス・メルツ)

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3編の中編からなる作品集ですが、冒頭の作品には「本来なら長編小説」という説明書きがついています。確かに断章形式で綴られている3作品とも、長編となっていてもおかしくない内容を含んでいるのです。いったん書き表した長編小説に対して、推敲に推敲を重ねた結果なのかもしれません。

「ヤーコプは眠っている」
スイスの片田舎に暮らす家族の物語は、著者の自伝的要素を含んでいるのでしょう。医者の過失で生後間もなく死亡したヤーコブ。水頭症を患いながら明るい性格で「太陽」と呼ばれながら若年で死亡した弟。加持祈祷に嵌り裸足で雪の中を歩いて病死した祖母。アラスカで墜落死した叔父。パン屋を廃業した後に相次いで亡くなった父母。家族の墓碑銘が続くような作品ですが、暗くはありません。むしろ彼らの豊かな人生が浮かび上がってくるようなのです。

本書のタイトルとなっている「至福の烙印」とは、少年時代にハーレーの後部座席に乗り、遠心力で熱い排気管に身体を押し付けられた際の火傷の跡のこと。人生の至福とは何のことなのか、考えさせられてしまいます。

「ペーター・ターラーの失踪」
雪山で失踪したペーターは、滑落して身動きできなくなった時に何を考えていたのでしょう。「キリマンジャロの雪」と似たテーマですが、断片的に挿入される、ペーターが母の最期に付き添った時の手記が効果的です。綴ることは受容なのです。この作品によって、ペーターの妻は夫の死を受け入れることになるのでしょう。

「アルゼンチン人」
同窓会に出席した語り手が、元同級生のレナから聞いた、彼女の祖父の物語。第二次大戦後にアルゼンチンに渡ったものの、ガウチョになる夢をあきらめてスイスに戻ってきた祖父は、生涯「アルゼンチン人」と呼ばれました。スイスを離れる時から愛していた女性を妻とし、代用教員として静かに暮らした祖父の死後、アルゼンチンに愛した女性がいたことが判明。タンゴダンサーであった過去を隠し続けたことは、彼女の思い出と深く関わっていたのです。祖父の物語を仲立ちにして、レナと語り手の新しい人生が始まっていきそうです。読後にほのぼのとした思いに包まれるような、心に沁みる作品でした。

2017/11