りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

屋根裏の仏さま(ジュリー・オオツカ)

イメージ 1

明治から昭和初期の日本からアメリカに移住し、言葉の壁と差別に苦しみながら勤勉に働いて居場所を築いていった男たち。彼らの妻となるために、夫となる人の写真だけを頼りに海を渡った女たち。本書は「写真花嫁」と呼ばれた日本人女性移民たち、ひとりひとりの物語を「わたしたち」という集合代名詞を用いて綴った作品です。

写真でしか知らなかった男たちは、多くの場合ハンサムでも若くもなく、農場主ではなく、自動車も持たず、大きな家に住んでもおらず、大半が貧しく英語も話せない。夫となった男たちは、ある者は優しく、ある者は暴力をふるい、ある者はセックスを強要し、ある者は浮気をし、ある者は勤勉に働き、ある者は賭け事にのめりこみ、ある者は永遠の愛を誓ってくれる。

生まれる子供たちは、健康だったり、早逝したり、優等生だったり、学校へも行かせてもらえなかったり、英語を話せたり、話せなかったり、真面目に働いたり、不良仲間に誘われたり、差別を受けたり、日本人社会を飛び出していったりする。生まれてこなかった子供たちもいる。

「わたしたち」は、農場で働いたり、女中として働いたり、洗濯屋として働いたり、夫と別れて娼婦になったり、仏像に祈ったり、故郷を偲んだり、父母を恨んで泣いたり、夫を愛したり、憎んだり、裏切ったり、雇い主の白人男性に孕まされたり、子供に愛情を注いだり、叱ったり、ささやかな幸せを喜んだりする。

しかし、全ての者にひとつの運命が迫っていたのです。日米開戦後、スパイ容疑を受けて逮捕される者が出始めると、誰もが疑心暗鬼に陥ります。日本からの手紙や写真を焼いたり、家に引きこもったり、今さらながら英語の勉強をしたり、噂話をするようになったり、しないようになったり、屋根裏に仏像を隠したり、アメリカ国旗を飾ったりするのですが、最後には収容所に送られて、忘れ去られるのです。

日系移民たちが消え去った最終章で「わたしたち」として語る者は、町の人々なのか、それとももっと高みにいる存在なのか。何年もかけて推敲されたという連続する短い文章は、「世代の声」として効果的に響いてきます。オバマ前大統領らの謝罪は、これらの声に対する返礼のように思えてきます。

2017/4