りぼんの読書ノート

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落日の宴(吉村昭)

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著者が「幕末に閃光のようにひときわ鋭い光彩を放って生きた人物」とまで評する川路聖謨の生涯を、端正な文章で丁寧に描いた作品です。

軽輩の出でありながら、まれにみる能力と人格によって要職を歴任し、勘定奉行・海防掛・外国奉行という幕僚としての最高位に登り詰めた川路の真骨頂は、ロシア使節プチャーチンとの交渉の中で示されます。ペリー来航の1月半後に長崎に来航したプチャーチンと5年がかりの交渉の結果、日露和親条約日露修好通商条約の締結にこぎつけた経緯は、同時代の列強国間の外交交渉を彷彿とさせるほど。

国家間の外交を成功させるには、相互信頼が必要なのでしょう。ペリーの恫喝的外交は日本を大混乱に陥れて行ったわけですが、日本の国情を尊重したプチャーチンと川路の折衝は、北方領土問題の解決すらもたらしたのです。その間、旗艦ディアナ号の沈没やクリミア戦争という大事件が起こっていたことを思えばなおさらです。一方でプチャーチンは、清国がアロー戦争後に列強と結ばされた屈辱的な天津条約の当事者でもあったわけですから、彼の尊敬を受けて紳士的な態度に終始させた川路の功績は大きいのです。

一方で、声高に攘夷を唱えた徳川斉昭らのポピュリズムに屈しない姿勢も見事でした。川路を重用した老中・阿部正弘の死後に幕府の実権を握った大老井伊直孝から「一橋派」と見なされて左遷された後は活躍の舞台に恵まれませんでしたが、決して幕政の批判をすることはなかったという身の処し方も見事です。江戸開城の直前に自殺したのは、滅びゆく幕府に殉じたということなのでしょうか。

古典的名著とされるハロルド・ニコルソンの著作では、外交官に求められる資質として、「誠実、正確、平静、忍耐、謙虚、忠誠、良い機嫌」が挙げられていますが、これを体現した人物が幕末の日本にいたことは凄いですね。現在の日本をめぐる外交情勢には、幕末や戦前と比較できるほど厳しいものがありますが、優れた外交官は出現するのでしょうか。半分以上は用いる側の責任とも思いますけれど。

2017/4