もともと美術館長、学芸員、彫刻家、美術学者などからなる「モニュメンツ・メン」部隊は、イタリアでの戦闘の際にモンテ・カッシーノ修道院を空爆してしまった愚行を繰り返さないために、創立されました。歴史的モニュメンツを回避して戦闘するよう、部隊指揮官に提言するという役割だったのです。いざとなると無視されそうですが。
その活動が、ナチに略奪された美術品の奪還に重心を移したのは、それがあまりにも多かったから。もともと画家志望だったヒトラーは欧州の粋を集めた美術館設立の指示を出しており、収奪された美術品は貨車単位で数えられる規模だったというのです。その中には、ミケランジェロ「聖母子像」、ファン・エイク「ヘントの祭壇画」、レンブラント「自画像」、フェルメール「占星術師」、さらにはピカソ、マティス、セザンヌ、ゴッホなどの傑作も含まれていました。
敗戦を目前にしたヒトラーが「手放すくらいなら爆破せよ」という命令を出していたことや、東部戦線からはソ連軍が迫っていたこともあって緊迫する中、停められた列車や、百姓家の納屋や、ノイシュバンシュタイン城や、アルト・アウスゼーの岩塩抗で美術品を奪還していく様子は、まるで映画のよう。いや、実際に映画化されたわけですが・・。
物語的に残念だったのは、各軍に配属されていた「モニュメンツ・メン」の全体活動を理解するのが難しかったこと。ジョージ・クルーニーを主人公にした映画でも、焦点を絞りきれていない印象がありました。実際に残念だったのは、今でも行方不明の美術品が10万点もあるということ。それらの作品の捜索・返還活動は、今でも続いているのです。
2017/3