りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

一瞬の夏(沢木耕太郎)

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アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフであり、その黒い肌から「和製カシアス・クレイ」と呼ばれたプロボクサー。世界チャンピオンを目指せる才能を持ちながら、気の優しさと精神的な脆さが災いして、東洋ミドル級王者にとどまったカシアス内藤

彼の無残な敗戦と挫折を描いた短編「クレイになれなかった男」の著者が、4年後にカムバックしたボクサーに再び寄り添います。燃え尽きることもできずに引退したボクサーは、30歳を目前にしながら、何を目指して再起したのか。老いた名トレーナーのエディ・タウンゼントは、何を思って彼を指導するのか。単なる取材の範囲を超え、なけなしの私財を投げ打ってまでマッチメイクに協力する著者が、自ら切り開いた「私ノンフィクション」は圧巻です。

数点の著作は出したものの、アジアからヨーロッパにかけての「深夜特急旅行」から帰国して間もない時期。自分自身への焦燥感と、取材対象への憤りの区別もつけ難かったような頃に、一度挫折した既に若くもないボクサーに夢を託し、ある意味では人生を賭けるとは、よくも思い切ったものです。そこまで取材対象と一体化することによって、この作品は生み出されました。

「世界チャンピオン1人を除いて、誰もが貧しい」とされるボクシングの世界は、興行主やジムの思惑が錯綜する前近代的な世界だったようです。そんな世界に飛び込んでいった著者は、同棲中の内藤や、老いたエディの貧しさとも正面から向き合っていきます。そして、再デビューから1年後の1989年8月、ソウルで若いボクサーとの東洋王座決定戦に臨むことになるのですが・・。アリスの「チャンピオン」は、この試合から着想を得たとのことです。

2015/5