岸本佐知子編/訳の奇妙なアンソロジー『居心地の悪い部屋』で冒頭を飾った「へベはジャリを殺す」の著者の短編集です。19作品が収録されていますので、それぞれの詳細を紹介することはできませんが、どれも破壊力抜群。本書の狂気に恐怖を感じるのは、自分がまだ正常な精神の持ち主だからでしょうか。それとも既に・・。
「年下」 世界のズレに悶々と悩み続ける妹と、やすやすと解釈してしまうように見える姉。妹は姉に説明を求め続けます。父の留守中の訪問者とは何だったのでしょう。
「追われて」 第二元妻と第三元妻に追われる元夫。ひょっとしたら第一元妻も加わっているのか。それとも皆、死んでいるだけなのか・・。
「マダー・タング」 老教授は突然、支離滅裂なことを勝手に喋る舌を止められなくなってしまいます。
「脱線を伴った欲望」 捨てた彼女の顔を思い出せないのは何故なのでしょう。彼女のもとに戻ってはじめて、そもそもなぜ自分が出て行ったのかを思い出します。
「怖れ 絵/ザックサリー」 かつて、もう思い出せない本の中で読んだあるフレーズに、何の理由もなく取り憑かれるようになった男の話が、コミック仕立てで描かれます。
「テントのなかの姉妹」 父親が出て行った後の家を自分の家のように感じられなくなった姉妹は、居間に毛布を集めて作ったテントの中で暮らします。世界のズレを受け入れることを学んだ姉は、妹に説明責任を感じるのですが・・。「年下」の逆バージョン?
「さまよう」 ディストピア世界をさまよう部族。指導者も勇者も歯の立たない化物の棲む屋敷とは何なのでしょうか? 「人体を腐らせる青い光の潜む水」というあたりで理解を超えてしまいます。
「温室で」 ある作家の入門書執筆を断った男が、招待された作家の屋敷から出ていけなくなってしまいます。出ていくためには、原稿を書かなくてはならないのはともかく、なぜ破棄しなくてはならないのでしょう。
「九十に九十」 売上を伸ばすよう迫られた編集者が、売れそうなミステリーシリーズをでっちあげて適当な作家に書かせ、マイノリティー作家として売り出したところ、大ヒットするのですが・・。アメリカでも良質の文芸作品は売れないのですね。妙にリアルな作品です。
「見えない箱」パントマイム師と寝た女は、見えない箱に眠りを奪われるようになってしまいます。彼女が箱から解放されて、安らかな眠りを取り戻すことはあるのでしょうか。
「第三の要素」 妙な観察任務を律儀に遂行している男は、任務の意味も目的も理解できていません。もちろん、その男の一人称で語られる物語を読んでいる読者も理解できません。
「チロルのバウアー」 チロルで死にゆく妻の横顔のスケッチを続けている男。妻が死んだあとは、どういう線を引くことになるのでしょう。彼はそれに耐えられるのでしょうか。
「助けになる」 事故で両目を失った男は、妻の助けを拒み続けます。そして、妻がこちらの世界に入って来ないことに憤るのです。
「父のいない暮し」 目の前で父に死なれた少女は、警察官や母親たちが聞いていることの意味が理解できません。少女の正直な感想が、無実の犯人を作り上げてしまいます。
「アルフォンス・カイラーズ」 殺人を犯した男が、殺された男になりすました時に起こったことは何だったのでしょう。そもそも殺人はなぜ起こされたのでしょう。説明し難い理由とやらは、もちろん説明されないままです。
「遁走状態」 何が起きているのか、自分は誰なのかもわからないまま、生死の区別すらわからなくなっていきます。ひょっとすると語り手はウイルスだったりして?
「都市のトラウブ」 虚空に浮かぶ都市のすべての顔を描き続ける男は、すべての顔が一人の男の死の記録ではないかと思い始めます。
「裁定者」 共同体から訪問者の殺害を依頼された男は、訪問者が自分と同じ不死者であったため、逆に共同体のリーダーを殺害してしまいます。しかし彼が見ているものは、共同体が見ているものと同じなのでしょうか。不死者は既に死んでいるのでしょうか。
2014/8