りぼんの読書ノート

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手紙(ミハイル・シーシキン)

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戦地に赴いたワロージャと、町に残された恋人サーシャの間のラブレターが織り成す物語・・と思いきや、読み始めてすぐに違和感が漂ってきます。それもそのはず、ワロージャは義和団事件の鎮圧のために1900年の中国に赴いたロシア兵であり、サーシャは20世紀後半のモスクワに住む女性だというのですから。

それだけではありません。恋人の死亡通知を受け取ったサーシャが泣き崩れた後も、2人の手紙は交わされ続けるのです。サーシャの時間は流れ続け、恋愛と妊娠、家族の不幸という出来事を経て年齢を重ねていくのですが、ワロージャは1900年の中国にとどまったまま戦地の苦しさと故郷の思い出を書き綴っているのです。

では本書は「時の流れが崩壊した」SF的世界の物語なのでしょうか。それとも同名の別人に宛てた手紙が交互に並べられているだけなのでしょうか。そもそもこれらの手紙は相手に届いているのでしょうか。

しかし2人は強く言い切るのです。「届かないのは、書かれなかった手紙だけだ」と。ワロージャは「崩壊した時の流れが元に戻るのは2人が再び出会うときだ」と綴り、サーシャは「2人が再会できるのは困難を乗り越え2人の精神が充分に成長したときだ」と応えるのです。

やはり本書は「引き裂かれた2人の間で交わされたラブレター」と読むべきなのでしょう。戦争や革命や災害という「大きな出来事」のみならず、転勤や留学やすれ違いなどの「小さな出来事」によっても、恋人たちは容易に引き裂かれてしまいます。「時間」とか「死」によって引き裂かれることだって、それらと何が違うというのでしょう。

読み進めるうちに違和感は消え去り、2人の思いがストレートに伝わってきます。初めて結ばれた夏の日の思い出、一緒にいた時には話せなかったこと、日々の出来事や幼い頃の思い出などを「手紙」を通じて相手に語りかける2人は、いつか再会して「あんな時代もあったよね♪」と笑顔で言葉を交わせるようになるはずだと思えてくるのです。

2013/3