りぼんの読書ノート

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罪と罰(ドストエフスキー)

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カラマーゾフの兄弟』に続いて、亀山郁夫さんの新訳で再読しました。

物語は誰でも知っての通り。頭脳明晰であるものの貧しい元大学生ラスコーリニコフが、「非凡人はあらゆる犯罪をおかし勝手に法を踏み越える権利を持つ」とする独自の犯罪理論をもとに、金貸しの強欲狡猾な老婆とその妹を殺害してしまったものの、娼婦ソーニャの自己犠牲の生き方に心をうたれて自首に至る13日間の物語です。

しかし、それだけではありません。本書の中には物語の伏線となるさまざまなエピソードが含まれているのです。ソーニャの父親であるマルメラードフの悲しみと破滅的な生き方、ラスコーリニコフの妹ドゥーニャの家族への献身と芯の強さ、ラズミーヒンがラスコーリニコフに示す友情、ドゥーニャを家庭教師として雇っていたスヴィドリガイロフのラスコーリニコフの分身ともいえる思想と生き方、ドゥーニャと婚約したルージンの卑劣さなどが、全て結末に結びついてくるのです。もちろん、ラスコーリニコフに疑いを抱いて追い詰めていくポルフィーリー予審判事の推理力の素晴らしさ、すなわち人間洞察の深さを忘れてはいけません。

こうして主要な登場人物を並べてみると、いくつかの系列に分かれているようです。

ラスコーリニコフ、スヴィドリガイロフ、マルメラードフ、ポルフィーリーらのいずれも著者のある面での分身ともいえる人物群と、ソーニャやドゥーニャという聖女的な女性たちが中心になっていますが、その他の脇役的人物群像もなかなかのものです。大きくは他者に悪意を持つ者と、他者によって翻弄される者に分けられるようですが。

訳者はあとがきで、秋葉原無差別殺人事件のニュースを聞いて「罪と罰」の時代が来たと直感した旨のことを述べています。確かに本書の事件は「空疎な超人思想を抱いたニート青年が殺人を犯す」というものであり、現実の事件との共通点も見出せます。しかし最後に問われるのは、本書のエピローグに示されるような、ラスコーリニコフの再生の心境に至ることができるかどうかということなのでしょう。

2012/9再読