りぼんの読書ノート

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西行花伝(辻邦生)

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晩年の作品ですが、『廻廊にて』や『夏の砦』など初期の小説に返ったようなテーマです。平安末期に生きて北面の武士から出家した歌人西行の生涯を、彼が故人となった後に、弟子がフォロワーとして再現していくとの構成も似ています。

従ってテーマにも構成にも新味は感じられないのですが、手馴れている分完成度は高いので、安心して読める作品に仕上がっていますね。幼年から晩年までの生涯が、弟子の藤原秋実が聞き取った多くの人の声で22帖に分けられて語られていきます。

幼年時代は、乳母であった蓮照尼によって。
青年時代は、北面の武士の同僚であった従兄の佐藤憲康や、後の西住こと鎌倉二郎によって。
待賢門院珠子との一度だけの恋は、院に仕えていた堀河局によって。
崇徳院保元の乱との関わりは、院に仕えた藤原一門の寂然、寂念、寂超兄弟によって。
そして奥州藤原氏の滅亡を見届けた晩年は、秋実が直接聞いた西行の肉声によって。

西行がなぜ出家したのか。出家した後にも現世と関わりを持ち続けたのは何故なのか。
著者が再構成した西行は、摂関政治の衰退と武士の台頭という矛盾に満ちた時代を生きる中で、歌の力によって現世を超越するのではなく、現世をも含む森羅万象という普遍の真理への到達を目指した人物とされます。

「なぜそれはそこにあるのか。そのものであって他のものではないのか」という疑問。
「矢を当てることよりも矢を美しく射ることのほうが大事」との教えから導き出した、
「生死を越えて美しく生きることがわかれば、母の死を乗り越えられる」との悟り。
崇徳院院は地上の位階などを捨てて、歌の位階に立つべきであった」との述懐。

タイトルの「花伝」は、世阿弥の「花伝書」からきているのでしょうし、以前にも読んだことのあるようなフレーズすら登場するのですが、ひところの作品に強く漂っていた芸術至上主義的な臭みは薄れているように思います。ただ後書きで評論家が「『背教者ユリアヌス』と並ぶ双璧」とまでいうのは、評価しすぎでしょう。

2012/8再読