りぼんの読書ノート

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ゴヤⅠ スペイン・光と影(堀田善衞)

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著者はゴヤの生涯の前景として、18世紀末のスペインの状況から語り始めます。イスラムを追い落して豊かな南部を侵略して、不寛容なカトリックを国教としたスペイン帝国は、新大陸の発見と征服・植民地化とは裏腹に、わずか3世紀間に人口が半分になるほどに国内を荒廃させてしまっていたんですね。新大陸を収奪した金銀財宝もすっかり国外に流出させてしまい、エル・グレコとベラスケスを最後にして絵画の面でも17世紀の黄金時代は去っていました。

1746年にスペイン北東部サラゴサ近郊の、荒涼としたフエンデトードス村に生まれたゴヤは、後に義兄となる画家バイユーに学び、27歳の時にバイユーの妹ホセーファと結婚。翌年マドリッドへと向かいますが3度もアカデミーを落選。

王立タペストリー工場に採用されて下絵書きの仕事に携わることになったゴヤは、「日傘」、「わら人形」、「瀬戸物売り」など宮殿装飾用の民衆の姿に飽き足らず、「盲目のギター弾き」、「アンダルシーアの散歩道」などの実情風俗を描き出してしまうんですね。もはやこれらの作品はパリ風のロココを超えてしまい、むしろ革命と戦争の時代を予測しているかのようにも思えます。

第1巻はゴヤが40歳でアカデミー会員となるまでの評伝ですが、著者がゴヤの作品から捉えた2つの印象的な視点を紹介しておきましょう。

ひとつは、たった2枚しかない妻ホセーファの肖像画。30代にして疲れ果てた中年女性のようで、50代にして老婆のように老いた姿を見せるホセーファの姿を、ゴヤの全人生の背後に置いてみなければならないと著者は言うのです。

もうひとつは、ゴヤが依頼されたベラスケスの銅版による複写画。模写なのに自画像を書き加えたり、カリカチュア化するゴヤの作品は、模写として落第です。しかし「ラス・メニーナス」だけは自分の手で銅版を破壊したとのこと。円熟期のベラスケスと比較しての、自己の矮小さを自覚したのでしょうか。

2012/6