りぼんの読書ノート

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侍とキリスト(ラモン・ビラロ)

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日本にキリスト教を伝道したフランシスコ・ザビエルは、死後列聖されているものの、本国での知名度は決して高くないとのことです。本書はスペイン人著者がスペインの読者を対象にして書いた、ザビエル日本布教の物語。

イエズス会ロヨラの盟友だったザビエルがインドのゴアを経て薩摩に上陸したのは、約450年前の戦国時代。薩摩藩主・島津貴久に謁見して宣教の許可を得たものの、島津は鉄砲を得たかっただけとわかり、肥前平戸、周防山口、堺を経由して上京。全国での宣教許可を「日本国王」から得るため後奈良天皇足利義輝への拝謁を請願するものの拒まれて、わずか11日の滞在で京を去ることになります。

帰路、山口の大内義隆や豊後大友義鎮から宣教を許され、数百名の信徒を得たものの日本文化に大きな影響を与えている中国での布教がまず先行して必要と考えるに到り、日本を出国しますが、ついに中国に上陸することなく病死。

彼が果たした役割を改めて見直すと、日本滞在期間はわずか2年半で、布教の成果もさしてあがっておらず、先駆者であったことに尽きるのでしょう。それでも彼が日本人の資質を高く評価して、「今まで出会った異教徒の中でもっとも優れた国民」であり「優れたキリスト教徒になりうる資質が十分ある」と見たことが後の宣教に貢献したことは間違いないところでしょう。

ザビエルの抱いた3つの夢は、彼の死後どれも実現しています。
・ヨーロッパへの日本人留学生派遣:ザビエル死後30年、天正遣欧少年使節の派遣
・都に大学設立:360年後に上智大学設立
・中国宣教:ザビエルの死と同年に生まれたマテオ・リッチが実現

ただし、現在でも日本のキリスト教徒はそれほど多くはありません。本書のラストで、ザビエルの記録を後に読んだとされる柳沢吉保に「大日とデウスは同じ浄土にいるのではないか」と言わせたことが、高度な多神教国家である日本への伝道の難しさを物語っているように思えます。

2011/12