りぼんの読書ノート

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蛙鳴(あめい) 莫言

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「堕せば命と希望が消える。産めば世界が必ず飢える」

タイトル「蛙鳴(アメイ)」の「蛙」は「娃(赤ちゃん)」に通じています。現代中国の根源的問題である「一人っ子政策」をテーマとした重厚な小説。「一人っ子政策」に翻弄された世代の主人公が、大江健三郎とおぼしき日本人に宛てて綴る伯母の物語が、いつしか主人公自身の苦悩の物語となっていくのです。

革命直後、山東省の農村で産婦人科医となった若い伯母は、前近代的で非衛生的な「取り上げ婆さん」たちを駆逐し、人口増加を是とする大躍進に貢献するのですが、婚約相手のパイロットが台湾に亡命。文化大革命での批判対象となってしまいます。それでも復活を果たした伯母が就いたのは「一人っ子政策」の地域責任者の仕事。

宗法社会の伝統が強い農村部では、男の子を授かるまで子どもを産むのが普通です。かつて「神の手」と敬われた伯母は、計画出産外の子どもを産ませないため避妊と堕胎の強制執行を繰り返し、いつしか「悪魔の手」と呼ばれて恐れられるように・・。やがて第2子を強く望んだ主人公の妻が夫を欺いて妊娠し、悲劇が起こるのでした。

堕胎で命を失った最初の妻と、子どもを望みながらも授からない2人めの妻の対比、さらに、あれほど厳格に「一人っ子政策」が実施された過去と、金の力で抜け穴が開いてしまったかのような現在の中国の姿との対比が、国家が家庭の中に土足で踏み込むような政策への、著者の複雑な感情をあらわしているようです。年老いてから泥人形作りの職人と結婚して、自分が流産させた赤ん坊たちの人形をひとつひとつ夫に作成させている伯母の心中は、はかり知れません。

そして、主人公が著わした戯曲という「第5部」では、中年を迎えた主人公夫婦と代理母との対決を通じて、子を望む親の感情が前面に出されるようになります。この部分を書きたかったがために、第4部までの長い物語があったのでしょうか。娘を持つ著者には第二子を諦めざるをえなかった過去があるといいますし・・。

赤い高粱の作者のことですから、荒唐無稽なエピソードがふんだんに登場。でも中国農村での出来事と言われると、いかにもありそうに思えるから不思議。中国の地方部には、南米に匹敵するマジカルなイメージがありますね。戯曲にも「ここがマコンドであってもかまわない」との言葉が登場します。

2011/8