りぼんの読書ノート

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カズオ・イシグロ(平井杏子)

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デビュー作から最新作までの全作品の解釈を通じて、グローバルな作家の全貌に迫る「カズオ・イシグロ」論です。著者はイシグロと同じ長崎生まれで、夫君の幼い頃の友人がイシグロの従兄だったということを「発見した」といいますから、因縁を感じますね。

研究者ですから当然なのでしょうが、さすがによく読みこんでいます。遠い山なみの光では、「サチコやエツコの人生では幸福に完結することのなかった女性としての自立の歩みが、イギリスで生まれ育ったエツコの娘ニキの生き方の中で曙光として描かれている」という通常の解釈に疑問を呈し、浮世の画家のオノの自己欺瞞が、この世を根なし草のように漂っている夜想曲集のアーティストたちと通じるものがあるとの指摘には脱帽。そしてそれは日の名残りのスティーブンスが抱いている「空疎な使命感」とも繋がっているのでしょう。

さらにこれら初期の3作品に共通するのは、物語の舞台となっている日本やイギリスが、現実に存在している国ではなく、彼がある時には「日本」、ある時には「イギリス」と呼ぶ「システム」にすぎないとのこと。納得。

イシグロの作品に共通している「信用ならざる語り手」の主題は、後の作品においてはさらに複雑な方向に進化を遂げていきます。意図的な「記憶の改竄」段階を超えて、意図せざる「記憶の変質」や「記憶の価値」にまで踏み込んでいくのです。

充たされざる者のライダーが迷い込んだカフカ的世界も、わたしたちが孤児だった頃のバンクスがたどり着いた上海も、そこが彼らの本当の故郷かどうか、もはや本人にもわからないものになっています。子どもの頃の記憶のあやふやさが、「幸福な世界」としての故郷を「脳内仮想空間」の中に創りあげてしまったかのよう。

わたしを離さないでのキャシーは「信用できる語り手」なのですが、彼女を取り巻く環境を認識させられないままに生きてきたという意味で、「不完全な記憶」しか持っていないのです。子どもたちがこの世界の真実に目覚めるより先に、読者に気づかせているタイミングのズレが、この小説の感動を生んでいる・・なるほど。

初の短編集である夜想曲集は、これまでの長編に現れていた主題を再現するのみならず、「世界への悼み歌」という新たな側面を合わせ持っているとのこと。確かにそうですね。書評やレビューの域を超えた研究者の「論文」を読むことには、作品を再読する以上の価値がありそうです。

2011/5