りぼんの読書ノート

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無垢の博物館(オルハン・パムク)

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2009年のノーベル文学賞を受賞した著者の受賞第一作は、近代化が進行する中で民族主義者と共産主義者の抗争によって多くの死者を出し、最後にはクーデターに至る1970年代後半のイスタンブールを舞台とした物語でした。といっても、政治や暴力は本書のテーマではありません。

裕福な一族に生まれ、30歳にして輸入会社の社長を務めるケマルの人生は順風満帆で、可愛くて気立てもよく家柄も釣り合う女性スィベルと婚約していましたが、落とし穴に嵌ってしまいます。存在すら忘れていた18歳の遠縁の娘・フュスンと偶然再会して恋に落ち、彼女との情事に溺れていってしまうのです。

近代化しつつあるとはいえイスラムの伝統を色濃く残す風土では、女性の純潔や貞操が重視されていて、未婚の女性とのセックスなど許されることではありません。責任をとらなければならないのですが、ケマルの心は2人の女性の間を揺れ動きます。そして、決断をつけられないケマルに愛想をつかせた2人の女性は、それぞれの人生を選んでいくのでした・・。

では、これは不倫、もしくは純愛の小説なのでしょうか。しかし、物語は全く違う方向に向かっていってしまいます。ケマルとフュスンの間にはこの後も不思議な関係が続くのですが、決定的な破局が訪れた後に、ケマルは彼女を記憶にとどめるための博物館を作ろうとするのです。そして、2人の不思議な愛の記録を、知人のオルハン・パムク氏に頼むんですね。展示するのは、フュスンにプレゼントしたイヤリングや、彼女の家にあったさまざまな生活用品や、9年間に渡る彼女の煙草の吸殻!などなど。

トルコ人は、金持ちどもが自分たちを西欧人と錯覚するような、西洋の模倣をした博物館をつくるのではなく、僕たち自身の人生のことを展示しなくてはならない」とパムクは言いますが、これは本心なのか、常軌を逸した精神が作り出したものなのか、それとも「時代と場所という制約を乗り超えた先にある『幸せのありかた』」なのか、判断は読者に委ねられているのでしょう。

著者はこの作品を、トルコ版の『アンナ・カレ-ニナ』と見なしているようです。また、この博物館を実際に作って公開する予定とのこと。イスタンブールに行くことがあったら、本書のみならずオルハン・パムクの世界に浸ってみたい気もしますが・・。

2011/4